ことのままはちまんぐう
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事任八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月10日(月)
参拝:2022年10月吉日
【御祭神】
己等乃麻知媛命
(ことのまちひめのみこと)
息長帯姫命
(おきながたらしひめのみこと、
神功皇后)
誉田別命 (ほんだわけのみこと、
応神天皇)
玉依比売命 (たまよりひめのみこと)
創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の治世としている。古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、『延喜式神名帳』には「己等乃麻知神社」と記載されている。
大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武天皇の勅命によって、それまで鎮座していたすぐ北側の本宮山から現在地へ遷座させたと伝えられる。平安時代後期に八幡信仰が広まると、康平5年(1062年)、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請し、日坂八幡宮(にっさかはちまんぐう)や八幡神社(はちまんじんじゃ)とも称されるようになった。
己等乃麻知媛命
(ことのまちひめのみこと)
息長帯姫命
(おきながたらしひめのみこと、
神功皇后)
誉田別命 (ほんだわけのみこと、
応神天皇)
玉依比売命 (たまよりひめのみこと)
創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の治世としている。古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、『延喜式神名帳』には「己等乃麻知神社」と記載されている。
大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武天皇の勅命によって、それまで鎮座していたすぐ北側の本宮山から現在地へ遷座させたと伝えられる。平安時代後期に八幡信仰が広まると、康平5年(1062年)、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請し、日坂八幡宮(にっさかはちまんぐう)や八幡神社(はちまんじんじゃ)とも称されるようになった。
すてき
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あずにゃん96投稿
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