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岩松寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀如来、千手観世音菩薩 | |
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ご由緒 | 戦国の世、1450年三河設楽地方に名声を高めていた三豪族が居た.三河山家三方衆と呼ばれた、田峰菅沼、長篠菅沼、作手奥平の三家である。ともに血縁関係で結ばれ、外敵に備え協力していた。しかし天正元年(1573)家康は、武田の城長篠城を攻略し長篠菅沼は敗走。変わって作手の奥平を城主とした。天正3(1575)年3月武田勝頼、三河に侵攻し長篠、設楽ヶ原の戦で織田、徳川の連合軍に敗れ田峰菅沼は武田とともに敗走。天正10(1582)年3月勝頼自刃、武田家滅亡と共に田峰菅沼定忠家も滅びる。作手奥平は徳川家に加担し功績を上げたので、家康から新城の城を与えられ加増される。田峰菅沼定忠の法名、安養院殿剣叟浄秀大居士石祠の中に娘夫婦の五輪塔と共に三体納められている。
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