ろくおんじんじゃ
鹿苑神社のお参りの記録一覧
静岡神社巡り⑤今回の目的地、磐田市に到着。やたらと道が混んでます。駅からも徒歩圏内ですが、二宮らしい佇まいではありませんでしたが綺麗に管理されていました。無人の神社で、御朱印は府八幡宮で戴く事になります。
由緒書
社号標
一の鳥居
手水舎
二の鳥居
拝殿
扁額
本殿
本殿
境内社 高根神社
境内社 厳島神社
境内社 西宮神社
境内社 若宮神社
境内社 浅間神社
境内社 住吉神社
境内社 住吉神社、八面神社
遠江国磐田郡の式内社であり同国の二宮です。鹿の苑(園)が意味している通り、正月に鹿を供えるために境内で鹿を飼っていたことに由来するそうです。春日大神さまだったら怒られてるでしょうね…
《一の鳥居と社号碑》
磐井駅の南西の住宅地の中にあります。
《由緒書き》
ここで書かれている"乾鹿壱石"というのは一体なんなんでしょう…鹿の干し肉でしょうか?
《手水舎》
蛇口を捻ると水が出ます。
《二の鳥居》
表参道から左に曲がります。
《拝殿前》🙏
👁チェックポイント‼️
元々この鹿苑神社は浜松市天竜区春野町杉という山奥にあり、参拝に不便だからということで現在地に移転、国府に近いということで二宮になったという経緯があります。
磐井市に総社と国府八幡宮、護国寺があることから国府がここにあったのは間違いないですが、一宮はどっちもかなり遠いです。国司も大変だったでしょうね…
《境内》
ちなみに同じ「鹿苑」で有名な京都の鹿苑寺(金閣寺)は再建した足利義満公の戒名(鹿苑院天山道義)に由来します。
《本殿》
三間社流造です。
《末社群》
《社務所?》
普段は無人のようです。府八幡宮が兼務しており、御朱印はそちらでいただきました。
《駐車場》
結構広めです。
【遠江國 式内社巡り】
鹿苑神社(ろくおん~)は、静岡県磐田市中二ノ宮にある神社。式内社で、遠江國二之宮。旧社格は郷社。祭神は大名牟遅命(おおなむち:大国主命)。
創建は不詳。国史の初見は『日本文徳天皇実録』850年条に「鹿苑神」の神階奉授、『日本三代実録』860年条に神階昇叙の記載がある。社伝によると、元は神戸島という山間僻地(山香郡与利郷・現浜松市天竜区春野町)にあったが、平安時代の881年に遠江國国府近くの現在地に遷座した。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 磐田郡 鹿苑神社 小」に比定されている。鎌倉時代には遠江國二宮と呼ばれるようになった。遠江國風土記伝によると、室町時代には当社は近郷15カ村の惣社として23石を有し、往時は一之宮・小國神社と並立され社殿宏大、社領300石を有したと記載されている。その後幾多の兵火に遭い、社殿、宝物、古文書等を焼失、江戸時代に入り1623年に社殿を再建、幕府から23石の朱印地を下賜された。江戸時代末までは高彦根命を祀り、「高値明神社」と称していた。明治に入り、郷社に列した。
当社は、JR東海道本線・磐田駅の東南東500mの平地、市街地の中にある。北側には連福寺という寺院に接しているが、それ以外は住宅地が多く建ち並んでいる。境内は一般的な旧郷社相当のサイズで、古巨木を含め樹木が多く立っている。地名の由来となった古社であることは明らかで、境内の古巨木が時間の長さを証明している。
今回は、遠江國の式内社、二之宮であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中、自分以外には参拝者はいなかった。
※御朱印は、府八幡宮(磐田市中泉)で拝受できる。
境内南西角にある<一の鳥居>と<社号標>。
一の鳥居をくぐり、東方向に伸びる参道を進む。
参道突き当りの<手水舎>。
手水舎前で左方向を向くと<二の鳥居>。
鳥居をくぐると、すぐ<拝殿>全景。銅板葺屋根のうすいエメラルドブルーと躯体木材のライトブラウンの色の対比が特徴的。塗装は悉く新しい。
<拝殿>正面。「鹿苑神社」と刻まれた扁額。
拝殿前から左方向を望む。草木が多いがきれいにされている。
拝殿後ろの<本殿>。瑞垣に囲われている。
本殿と瑞垣の間には、小さな社がある。
本殿の左手にある境内社。左から順に<住吉神社>、<八面神社>、<浅間神社>、<若宮神社>、<西宮神社>、<厳島神社>。
境内北西部にある<忠魂苑>と書かれた石碑。小さな門がある。
忠魂苑から見た<社殿>全景。背の高い古木が立派。
境内南西部にある建物。
最後に<社殿>全景。
二の鳥居付近にも巨木があったので画角に収めてみる。(^▽^)/
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