だいどういん|曹洞宗|橘谷山
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「遠州の小京都」森町から観光HP等を参考に、
巡らせて頂いた中で、最後にお参りさせて頂き
ました。
幕末明治の侠客・海道一の親分、清水次郎長の
子分「森の石松」のお墓が門前にあります。
博打に強かった石松にあやかる為に、その墓石
が削られたり盗まれたりで、三度建て直された
そうです(その上で柵で守られています)。
観光的にはその「森の石松のお墓」のあるお寺
さんという触れ込みがあって、お伺いしました
が、清流に架かる赤い橋を渡った先の境内は、
遠州の小京都に相応しい、緑深い名刹の佇まい
でした。
侠客として波瀾万丈の生涯を送ったであろう
森の石松も、今はこの場所で静かに眠られて
いることでしょう。


大洞院 縁起
大洞院の開創は後小松天皇の応永18年(1411)時の高僧永平八世の嫡孫、恕仲天ぎん禅師は観音菩薩の教示により、はじめてこの地に錫を留めると、時の将軍足利義持公は禅師の高徳を慕い帰依して自らその荘園とその境内の地とを寄進し、禅師のために一大梵刹を創建し、これを橘谷山大洞院と号したと言われる。恕仲禅師は本師梅山禅師を請して開闢開山となし、自らは第二世となって開堂演法の実をあげ、禅風の挙吹に力をつくしたとある。以来数百年大洞院の門風ますます栄え、法光いよいよ輝き、今や総本山総持寺の五院列祖の第一大源派の派頭にして、末寺3400余ヶ寺の総本寺として曹洞宗屈指の名刹である。
札所本尊である馬頭観音は恕仲禅師諸国行脚の途次、三河国小松原の馬頭観音堂に参籠の折、一夜霊夢により「ご僧の願う勝縁の地は東方遠州飯田の里なり」と告げられる。
後日、飯田城主山内対馬守の帰依により堂宇を建立。当院を開くや、霊験を給うにより鎮守とさす。霊験あらたかにして諸災諸災消除諸願成就は必定なり。
大洞院は別名(森の石松)の寺として知られたが、近年は紅葉の美しい寺として県内外にしられ、毎年多くの人が訪れる。
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