かくるじんじゃ
賀久留神社のお参りの記録一覧
浜松神社巡り⑨御祭神は闇御津羽神・闇淤加美神の2柱で、後に気長帯比売神・誉田別命・玉依比売命を合祭した神社です。この後参拝する曽許乃御立神社とともに式内社「賀久留神社」の論社です。神職は常駐していませんが、素敵に管理が行き届いた神社でした。拝殿背後に独立して本殿があり、境内社もありますが瑞垣で囲われており近づくことができません。あまり資料がなく詳細がわからないのが残念です。御朱印は拝殿に書置きが用意されていました。
社号標
明治廿六年(1893)奉納の鳥居
須山長次歌碑「罪あらは 我を罰せよ 天津神 ひとの悪きは 我が悪きなり」
石段
社号標
灯籠
石碑 ほぼ読めません
手水舎
昭和八年(1933)奉納の手水盤
石段上から
社号標
由緒書
随身門
随神様
狛犬
大正八年奉納の灯籠
灯篭
宝庫
百度石
拝殿
扁額
御朱印が用意されていました
本殿 本殿前の狛犬(宝暦7年(1757))が迫力あるらしいのだが、遠くてよく見えません
丙子年(宝暦6(1756)奉納の灯籠
本殿左側の境内社 御本楠神社他
瑞垣内本殿右の境内社 若宮神社・米神社・稲荷神社・武王神社・天宇受売神社・東渡神社・天神宮・富神社があるがどれがどれだか不明
社号標
瑞垣内の境内社 手前が西宮神社 背後に五本楠神社、右に本殿
御神木
手水舎
宝暦六年(1756)奉納の手水盤
【遠江國 式内社巡り】
賀久留神社(かくる~)は、静岡県浜松市中区神ヶ谷町にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は闇御津羽神、闇淤加美神、氣長帶比賣命、誉田別命、玉依比賣命。古くから雨乞いの神として知られ、雨乞いの竜の面の伝説が残っている。
創建は不詳。社伝によると、平安時代の863年に神階奉授の記録がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 敷智郡 賀久留神社 小」に比定されている。南北朝時代1338年に宗良親王の御祈願、室町時代1419年に将軍・足利義直による社殿造営、戦国時代1541年に国司・今川義元による社殿再建と社領寄進、安土桃山時代1601年に伊奈備前守忠次が黒印地15石寄進、1648年徳川家光が朱印地15石寄進、遠江浜松藩初代藩主・松平信祝以降歴代藩主からの奉幣と寄進の記録がある。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格、1930年の昭和天皇行幸の際には、陛下が当社所有宝物を天覧された。
当社は、JR東海道本線・高塚駅の北方4kmの丘陵地帯のなだらかな南斜面にある。現在の境内地は広くはなく、境内西側が大通りに面し、小さな入口から少し上がると、社殿周りのちょっとした境内地があるのみ。境内北側、南側を寺院に挟まれているせいか、雰囲気は何となく寺院風。サイズ的には旧村社格から小さめの旧郷社ぐらい。御神木の樹齢800年と言われる巨木が古社であることを語ってくれる。
今回は、遠江國の式内社、静岡県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、参拝者は自分以外には見掛けなかった。
※当社では、拝殿に書置きの御朱印が置いてあるため、社務所が無人でも御朱印を拝受できる。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。社号標には「式内 賀久留神社」とある。
鳥居の右側、境内の南側は敬雲寺という寺院。(境内北側は洞雲寺という寺院。)
鳥居をくぐり、階段を少し上がるともう一つ<社号標>がある。こちらには「式内 県社 賀久留神社」と刻まれている。
階段を登り切ると<隋神門>がある。
隋神門の手前、参道左側にある<手水舎>。
隋神門をくぐったところから<社殿>を望む。
階段を登った左側にある<狛犬>。
階段を登った右側にある<狛犬>。
<拝殿>全景。瓦葺のシンプルな造り。
<拝殿>正面。ちゃんと扉が開いていて、内部も綺麗にされている。御朱印は賽銭箱の横に書置きがある。
拝殿後方の<本殿>は、瑞垣に囲われていて、拝殿とは分離している。また境内社もこの瑞垣の中に建っている。(当地では珍しい鉄製篝火が気になる...(^_^;))
瑞垣内の南西角にある<西宮神社>。
瑞垣内の北西角、本殿の左隣にある<五本楠神社>ほか2社。
瑞垣内の北側中央にある<本殿>。高床になった正統派の造り。
瑞垣内の北東角にある境内社。
瑞垣内の南東角にある境内社と建物。
拝殿に向かって右手にある<社務所>。宮司さんがいらっしゃる時は、御朱印はこちら。
社務所前から見た<社殿>全景。
左側の狛犬の後ろにある建物。
社殿の左手奥を見ると、かなり巨大な樹木が立っている。
御神木の<夫婦木楠>。樹高35m、樹齢800年。根回りの力強さが美しい!(o^―^o)
古社を何百社見て廻っても、なかなか出会わない巨木。大きな立看板がかなり小さく見える。
境内西側の道から南方向を望む。のどかな環境にある。(^▽^)/
氏神様の賀久留神社に年の瀬の御挨拶にお伺い
して、今年一年の感謝と共に古い御札を納めて
きました。
ところで地元には、賀久留神社に纏わるこんな
伝承があります。
「五社神社の石垣」
江戸幕府三代将軍(お爺ちゃん大好き)家光公が
上洛の際に所縁のある浜松に立ち寄り、父秀忠
公の産土神でもある五社神社の大改修を命じた
そうです。
あたかも企業の社長巡回であるような無茶振り
に、時の浜松城主は城下の村々に労力と資材を
供出させましたが、一番調達に苦慮した石垣の
石には、当時式内郷社として規模の大きかった
賀久留神社の立派な石垣に目をつけました。
地元村民は反対しましたが「国家権力」には逆
らえず、泣く泣く供出しその跡には氏子総出で
川の丸石を広い集めて積み直したのです。
「石になりたや浜松石に、五社のお前の切石に」
と里謡にまで歌われている立派な切石の石垣は、
我が賀久留村先人の協力もあっての事なのです!
10月16・17日の両日、私にとっての氏神様で
もある賀久留神社の例大祭が執り行われました。
昨年同様に祭典の規模は縮小し、関係者の方々
のみの参加という事も考慮して、日中早い時間
に先にお詣りさせていただきました。
子供の頃から慣れ親しんだお祭りで、観光客が
大勢集まる…という事は無いですが、古くから
受け継がれる由緒あるお祭りです。
例年であれば町内に屋台の引き回しや、例大祭
の最大の見所である「神幸祭」が行われます。
「神幸祭」は神社から800m程離れた「御旅所」
までを、総勢百名程の各々配役を担った人々が
古式ゆかしい装束をまとい、三台の屋台を伴い
ながら約一時間かけ粛々と行列を進める、室町
時代の中頃から続くといわれる神事です。
来年こそは例年通りにお祭りが盛大に行われま
す様に、と願いも込めてお詣りしました。
拝殿
奥に御本殿
拝殿の後ろに見える御神木の夫婦木楠
御神職の方は場を外しておられ、書き置きの御朱印に奉賛会の方が日付を入れてくれました
御旅所
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