もとしろちょうとうしょうぐう
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元城町東照宮ではいただけません
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元城町東照宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月16日(水)
参拝:2021年5月吉日
浜松に史上最強のパワースポットがあるとの事で参拝してきました。
そこは極小さな社殿が祀られている、50メートル四方のあまりにも目立たず、あまりにも知られていない遠江引間城跡「浜松元城町東照宮」。
それは450年以上もさかのぼる事、戦国時代。当時まだまだ無名だった二人のサムライが、後に大出世を果たし天下人となるドラマがここ引間城(浜松元城町東照宮)から繰り広げられていたのです。
引間城は駿河の今川の家臣飯尾豊前守が城主。その配下の松下家(浜松市南区頭陀寺町)に一人の青年が奉公していました。後の天下人「豊臣秀吉公」です。
まだ「猿」と呼ばれていたころの16才~18才の3年間、ここ浜松にて、初めて人に仕えていたのです。言わば秀吉公の初就職の場所が浜松だったという事です。
そしてその「猿」は主人に連れられ、引間城へやって来て皆の前で猿まねをし、城主の家族を笑わせたと史実が残っております(太閤素生記)。その後、秀吉公は3年間ここ浜松にて修行し尾張国へ帰り「織田信長公」に出会い、さまざまな困難を乗り越え大出世し天下統一を果たしていくのです。
御朱印は催事の時のみのようです
そこは極小さな社殿が祀られている、50メートル四方のあまりにも目立たず、あまりにも知られていない遠江引間城跡「浜松元城町東照宮」。
それは450年以上もさかのぼる事、戦国時代。当時まだまだ無名だった二人のサムライが、後に大出世を果たし天下人となるドラマがここ引間城(浜松元城町東照宮)から繰り広げられていたのです。
引間城は駿河の今川の家臣飯尾豊前守が城主。その配下の松下家(浜松市南区頭陀寺町)に一人の青年が奉公していました。後の天下人「豊臣秀吉公」です。
まだ「猿」と呼ばれていたころの16才~18才の3年間、ここ浜松にて、初めて人に仕えていたのです。言わば秀吉公の初就職の場所が浜松だったという事です。
そしてその「猿」は主人に連れられ、引間城へやって来て皆の前で猿まねをし、城主の家族を笑わせたと史実が残っております(太閤素生記)。その後、秀吉公は3年間ここ浜松にて修行し尾張国へ帰り「織田信長公」に出会い、さまざまな困難を乗り越え大出世し天下統一を果たしていくのです。
御朱印は催事の時のみのようです
すてき
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のぶさん1579投稿
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