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ゆらひめじんじゃ

由良比女神社の御由緒・歴史
島根県 朝日ケ丘駅

ご祭神≪主≫由良比女命
創建時代仁明天皇時代(842)
ご由緒

当社は仁明天皇承和九年(842年)官社に頂き、『延喜式神名帳』には「名神大」として、『神中抄』には「わたす宮」、『土佐日記』には「ちぶりの神」として見えたり。
海上守護の神として古来より上下の崇敬篤く、外国使節を遣する際、或いは外患を防ぐ時などに鄭重なる祈祷ありと『続日本後紀』『三代実録』に記されたり。
安永二年(1773年)各村の庄屋集まりて大祭の儀を復興し、島前一統の祭りとしその制を今も尚伝えたり。
隔年に行われる御旅の際には、遠く雲石(島根県)、伯耆(鳥取県西部)、但馬(兵庫県北部)より、新造の漁船を廻航し競って神船に列せんとしたり、近郷の漁船供奉して漕ぎ競えをなせり。
社前の由良の浜には、毎年十月より翌年二月にかけて「いか」の群集するあり、その寄せ来る時は滝の如くなり。小屋掛をして待ちこれを掬い取る。多い時は一夜数千連(一連=20ぱい)も押し寄せたり。
11月29日の神帰祭には少しと雖も寄らざることなし。これは遠き古より今に至るまで、変わることなき不思議の一なり。

歴史
歴史[編集] 概史[編集] 創建は不詳。 国史では、『続日本後紀』承和9年(842年)条において、由良比売命神(由良比女神社)・宇受加命神(中ノ島の宇受賀命神社)・水若酢命神(島後の水若酢神社)の3社が官社に預かる旨が記されている。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では隠岐国知夫郡に「由良比女神社 名神大 元名和多須神」と記載され、名神大社に列している。『隠岐国内神名帳』では「従三位上 由良姫大明神」と見える。 中世から江戸時代中期までは衰微。安永2年(1773年)、島前13村の庄屋により例大祭が復興された。近世以降は、隠岐国一宮を称した。 明治5年(1872年)に郷社に列した...Wikipediaで続きを読む
引用元情報由良比女神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%B1%E8%89%AF%E6%AF%94%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94621708

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