かもすじんじゃ
神魂神社のお参りの記録一覧
意宇六社詣りの2社目は、松江市大庭町に御鎮座する神魂神社に参拝に行って来ました。出雲大社よりも古い神社と言われています。
静かな境内に入ると空気が変わり拝殿にてゆっくりとお詣りをさせて頂きました。
その後、社務所に行き御朱印を頂こうと行きましたが、誰も居なく不在でした。
諦めて次の神社に行こうと車に乗り込んだ直後に、神職さんらしき人が車に乗って神社方向へ走って行くのを見かけたのでもしかしたら思い、再度神社に行ったら社務所に電灯がともり、神職さんが居ました。
早速御朱印を頂きに行きました。
書いておきますので、お詣りをしてお待ち下さいと言ってましたので、再度拝殿にてお詣りをしました。
御本殿及び御内殿は現存最古の大社造。
御祭神は伊弉冊大神、伊弉諾大神になります。
イザナミの大神を祀る「大庭の大宮」さんと呼ばれています。
神魂神社は出雲国造の祖「天穂日命」が此地に天降りられて御創建になったと伝えられています。
鳥居
手水社
手水社は苔が生えて味がありました。柄杓が良かったです。
この階段を上がって行きます。
拝殿
由緒書き
熊野社
伊勢社
杵築社
外山社
荒神社
蛭子社
武勇社
島根旅行最後の1社。神魂神社さんは国宝の本殿をおもちの神社です。
本殿は現存する日本最古の大社造りだそうです。
古い建物を見るのが好きな私にとって とてもありがたい社殿でした。
主祭神は伊弉冊大神・伊弉諾大神です。
境内社も数多くあり そう広くない境内ですがお参りするのには時間がかかります。
御朱印を拝受しに社務所に訪れたのですが 作業の手を止めて書いてくださいました。
ありがたいことです。
由緒については
社伝によれば 出雲国造の大祖・天穂日命がこの地に天降って創建したと伝わるが 『延喜式神名帳』 国史や『出雲国風土記』に当社が出現しないが その理由として 出雲国造家が自らの祖神を大庭にあった邸内で私的に祀り祭祀を行ったていた または邸内に祀っていた社が起源であった可能性が強く そのため文献に記載がなかったと考えられ やがて現在地に勧請され 近隣住民の信仰を集める形となったと考えられている。
文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍家下文であり 実際の創建は平安時代中期頃とみられている。
出雲大社近傍にある意宇六社(熊野大社・真名井神社・揖夜神社・六所神社・八重垣神社・神魂神社)は 出雲国造家の緩い支配下にあったとされる。
特に神魂神社は 他社に比して出雲国造家の強い支配下にあり 享保20年(1735年)の『神魂社規式』に 神社の神主は出雲国造の名代として奉仕する者と記されている。
また出雲国造家が 明和9年(1772年)ごろ京都の柳原家へ宛てた書状『出雲両国造家代書状』などによると 神魂神社は出雲大社の摂社であり 神主や別火などの神職は 出雲国造の下司とされ 神魂神社は独立した神社と見なされていなかったことが窺える。
とありました。
一の鳥居
門はありませんでした
手水
手水には いい具合に苔が生えています
石段の上に拝殿
島根らしく太い注連縄
拝殿
こちらも小泉八雲ゆかりの地でした
拝殿と国宝の本殿
国宝
貴布祢稲荷両神社
外山社
荒神社
なんだろ
蛭子社
武勇社
井戸ではないですが・・・
本殿拝殿を横から
由緒書
熊野社
伊勢社
杵築社
社務所
神魂神社は社殿が最古の大社造で国宝にも指定されています。
社伝では出雲大社宮司の祖神、天穂日命が創建したとされます。
直接見れてはいないのですが本殿内の天井や扉には不思議な絵が描かれているそうです。
御朱印は神職さんがいなかった為、頂いていません。
また来ます。
国宝 神魂神社本殿
武勇社
蛭子社
祷家神事の神籬
荒神社
外山社
貴布祢稲荷両神社
杵築社
伊勢社
熊野社
釜(社)
素晴らしくて圧倒されました!
国宝である本殿はもちろんですが 参道や境内の雰囲気も迫力がすごくて言葉を失います。鳥居をくぐれば俗世と切り離れた気がしますし、拝殿と本殿を目の当たりすると迫力に圧倒されて鳥肌が立ちます。たまたまた大祓祭の日にお参りすることができたことにも感動しかありません。氏子さんが次々と参拝に来られる忙しい中、友人と共に御朱印も書いて頂けたことにも感謝です。念願だったイザナミ様に日々の守護に感謝を申し上げることもできました。
最古の本殿!よくぞ今まで残っていてくれたー!と心で叫びながら その美しい姿を眼に焼き付けて後にしました。
御祭神:
★伊奘冉大神
★伊弉諾大神
鳥居
鳥居
参道
手水舎
意宇六社~神魂神社
御祭神:主祭神~伊弉冊大神 配祀神~伊弉諾大神
出雲国造家では、現・国造が逝去すると、亡き父である国造の葬儀をすることなく、嗣子は直ちに神魂神社に参詣し、一昼夜のうちに神火相続の儀式を行うが、新・国造と神魂神社の秋上神主2名のみで本殿の内殿に参籠し行われ、神事が無事終了すると、直ちに神火相続成就の飛脚をたて、出雲大社へ報告し、その後、国造の葬儀を執り行ったとされる。
一の鳥居
参道
二の鳥居
社号
参道・石段
拝殿
拝殿
本殿 - 国宝
現存する最古の大社造り
本殿 - 国宝
武勇社~経津主
蛭子社~蛭子
神籬・荒神社~興津彦命
神籬・荒神社
外山社~鸕鷀草葺不合
貴布祢稲荷両神社~貴布祢社祭神=闇龗神、稲荷社祭神=倉稲魂命
杵築社~神素嗚嗚尊、葦原醜男
伊勢社~天照大神、月夜見
熊野社~速玉男命、事解男命、菊理姫~
御釜宮
手水舎
意宇六社めぐり四社目。
車の中は冷房掛ってるのに暑さで…
気力でお参りしてる。
行きはこちらから。帰りは女坂で。
暑いです。
ニの鳥居?こちかからの緩い階は綺麗と思う。
八重垣神社の次は、神魂神社に参拝に行って来ました。この神社の本殿までの石段は高さも不揃いで上がるのが結構大変でした。
女性や子供は女人坂と言う坂から本殿までいけます。境内は綺麗にされてました。お参りしてから御朱印を拝受しました。
入り口の鳥居
神魂神社石碑
この石段を上ります。
この石段を上がった先に本殿があります。
本殿
本殿の石板。神魂神社と書いてありました。
武勇社
えびす社
稲荷社
貴布禰社
外山社
荒神社
熊野社
伊勢社
杵築社
手水社
2021.09.19.松江神社→八重垣神社→神魂神社。八重垣神社から車で5分。「日本最古の神社」とグーグルマップで見つけたのは当日のランチの頃だったと思います。土壇場で行くことを決めた神社でした。
御朱印は直書き対応のみとのことでいただけませんでしたが、本来それが本道ですので、来れただけで充分満足でした。
神魂神社の鳥居です。八重垣神社よりさらにいにしえの姿を遺しています。
社号標です。
拝殿正面に出る石段もまた、手を加えずそのままの状態です。
石段の麓に、きわめて原始的な構造の手水鉢が。水の流れは清らかで勢いがよく、この水を汲んで帰る人もいるのでは…と思うほどでした。
ご本殿が日本最古の大社造の神社として国宝指定とのことですが、拝殿もまた圧巻でした。
御神前です。
拝殿前にある案内板です。
国宝の御本殿です。1346年の「再建」というのだから凄まじいです。江戸時代のさらに遙か前、700年前の室町時代にまで遡るのだと思うと…日本人のルーツの一つなのですね。
神社自体はあくまで簡素な構造なのですが、その時間軸のスケールに圧倒されます。地震大国日本で、戦火も免れて現存しているのが奇跡のよう。
本殿の左右に二棟ずつ境内社が建てられていました。
二柱のうち、左は稲荷社です。
稲荷社を守る狛狐像のはずですが、耳の形が丸く、イタチやテンなどを彷彿とさせます。
こちらの狛狐像は現代の私たちが認識している狐に近い容姿ですね。
きふね稲荷両神社もまた重要文化財指定です。
原始の鳥居と石灯籠に、洞穴。鎌倉の墳墓を思い出しますが、ここは神社ですから、あちらもまた祠なのかなと考えられます。
うろ覚えですが武勇社と伊勢社、と示されていたと記憶しています。
参道進んで右手に前述の石段があり、参道正面にはこちらの女坂が伸びています。復路はこの坂を下って辞去しました。雨の日だったら滑りそうです。
参道脇の彼岸花です。島根県内はそこかしこに彼岸花が群生していて、広がる緑との対比が美しく、神秘的でした。
年末の職場の健康診断で引っかかってしまい,病院で検査の日にちを決めるために今日は仕事を休みました🏥検査は不安なので神社⛩に行くことにします🏃♂️そうだこの間御朱印をお休みしていた神魂神社へ行こう!という事でお参りしました。まだ雪は残っていますがお参りに支障はありません☺️雪が屋根に残るお社は風情がありますね😃異常がなかったらお礼参りに行かなきゃね🤗
駐車場です。平日ですがそこそこ車が多いです。
ニノ鳥居のそばに山道が…どこに出るのだろう🤔ピンぼけ失礼しました😅
拝殿まで登るぞ!
雪の本殿と拝殿です。
お社と雪は絵になりますね☃️
今年最後の御朱印を求めてウロウロ…国宝神魂神社へお参りしました。残念ながら年始の準備のため,本年中の御朱印の対応はしていないとの事でした。久しぶりにお参りしましたが,相変わらず貫禄のある神社です⛩御朱印は次のご縁の楽しみにしよっと☺️
神社に到着です。
鳥居正面です。
社号碑です。
本殿は国宝です。
手水舎だ!竹が長っ!
こちらは女坂です。ゆるやかな回り道です。
拝殿まで急な石段を進みます。
境内にある小泉八雲ゆかりの説明書きです。
本殿です。
境内社です。
もう一度本殿を📸
反対側の境内社です。隣に社務所もあります。残念ながら本年中は御朱印等の授与はお休みのようです。
境内にある御由緒書きです。
本殿を反対側から📸
神魂神社(かもす...)は、島根県松江市にある神社。旧社格は県社。意宇六社の一社(参拝2社目)。本殿が現存する日本最古の大社造で国宝であることで知られている。
主祭神は日本の創世神である伊弉冊大神(いざなみのおおかみ)で、伊弉諾大神(いざなきのおおかみ)を合祀している。社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建とあるが、文献の初見は1208年の鎌倉将軍下文で、実際の創建は平安中期以降とされる。明治時代以前は出雲国造家の重要儀式が当社でおこなわれていたとのこと。
当社は松江市の中心地から南方に6kmほどの場所に位置している。
参拝時は週末の昼頃、人里離れた静かな社ということで、参拝者はぱらぱらいる程度。
入口の鳥居。美しい紅葉がお出迎え。
ワイルドな社標と、大きな自然石を積み上げたワイルドな石段。
ワイルドな手水。木々の葉が屋根代わり。
参道が右に直角に曲がり、自然石の階段を登る。
光の具合もあって幻想的な拝殿。
社殿全景。現存するもっとも古い大社造の社殿。
こちらが国宝となっている<本殿>。1346年建立。三間四方高さ四丈。
床が高く、木太く、とくに宇豆柱(うずばしら)が壁から著しく張り出しているところは大社造の古式に則っているとされ、出雲大社よりもより古い形態を保持していると言われる。また元々は彩色されていたといわれ、本殿内陣には極彩色の壁画があるとのこと。
社殿右側、右から1番目の<釜社>。出雲国造の祖神である天穂日命(あめのほひのみこと)が高天原から天下る際に乗って来られたと伝わる鉄釜が祀られている。
社殿右側、右から2番目の<熊野社>。
社殿右側、右から3番目の<伊勢社>。
社殿右側、右から4番目の<杵築社>。
社殿左側、右から1番目の<貴布祢稲荷両神社>。1583年の建立で、珍しい二間社流造。国指定重要文化財。
社殿左側、右から2番目の<外山社>。
社殿左側、右から3番目の<荒神社>。
社殿左側、右から4番目にある祈祷場(?)。「祷屋氏子以外さわらないで」と書いてある。
社殿左側、右から5・6番目の<蛭子社>と<武勇社>。
あらためて、国宝の本殿。
あらためて、社殿全景。
社殿右手の社務所。御朱印はこちら。
立派な木の鳥居から、なだらかで長く心地よい参道を歩いて社殿へ。
主祭神は伊弉冊大神。
本殿は日本最古の大社造で国宝指定されている。
この圧倒的なかっこよさ、昔は彩色されていたそうな。
復元でいいので、どんなお姿か見てみたいな。
摂社に「貴布禰稲荷両神社」というのがあります。
二間社流造杮葺きという造だそうですね。
二間社というのは大変珍しいそうです(茨木市ではちょこちょこあったりする)
これは重要文化財となっています。
こういうお稲荷さんもいいですね。
かなりどっしりとされた狐さんでした。
本殿
貴布禰稲荷両神社
入口
参道、とても好きな空間
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
20
0