さわかとじんじゃ
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楽しみ方佐波加刀神社の御由緒・歴史
| ご祭神 | 《主祭神》 日子坐王 大俣王 小俣王 志夫美宿禰王 沙本毘古王 袁邪本王 佐波遅比売王 室毘古王 | |
|---|---|---|
| ご神体 | 不詳 | |
| 創建時代 | 不詳 | |
| 創始者 | 日子坐王の子孫 | |
| ご由緒 | 本社鎮座の年代は明らかでないが日子坐王は開化天皇の皇子で御母は姥津媛命であり大俣王以下七柱の王方は何れも同皇子の御子であります旧事本紀(十国造本記)に本社の祭神たる彦坐王の3世の孫大蛇牟夜別を成務天皇の後世淡海国造に定められたとあるところより推察するならば、その国造の子孫がここに繁行すると共に、いつの世にか祖先たる彦坐王を始めとし関係の他の王を併せて奉斎する1社を創立したのが本社の起りと思われます。1つの伝えにはそれは天平年間のこととせられており平安朝に入いるや醍醐天皇延喜の制国幣小社に列せられ、祈年の幣帛に預った。中世神仏習会の結果、いつしか東林坊という神宮寺ができ、建久元年良峰宗勝、本殿を再興し、又応永26年火災に罹りて、神社仏堂ともに烏有に帰するや、同29年領主京極高光、之を再興し又永享年中、将軍足利義教、上司に禄を与え神領を寄せるなどした。しかし戦国乱離の世となって、全く荒廃を来すに至った。後渡辺勘兵衛推庵豊臣秀吉社殿堂舎の修復をしたが江戸時代には彦根藩の崇敬厚く藩主の参拝又代参寄進等のことがあった。氏子の崇敬亦深く万治3年嘉永3年等の再建を経たものが現在の社殿である。延喜式内社。明治9年村社に同41年神饌幣帛料供進神社に指定された。
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