かんのんじ
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観音寺ではいただけません
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観音寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月03日(月)
参拝:2023年4月吉日
仁寿年間(851年~854年)三修沙門によって創建された。
もとは伊吹山山中にあって弥高寺、太平寺、長尾寺とともに四大護国寺と称されていた。
正元年間(1259年~1260年)現在地に移ったとされる。
鎌倉期から室町期には地頭・佐々木大原氏の、戦国期は浅井亮政、久政、長政の保護を受けた。
長浜城主の羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成が一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出し、才能を認められ召し出されたという「三碗の才」の舞台となった場所でもある。
この時のお茶の水を汲んだとされる井戸が現在に伝わっている。
本堂(1715年再建)、鐘楼(1725年建築)、惣門(1725年建築・長浜城の裏門を移築したものとされる)は重文指定されている。
もとは伊吹山山中にあって弥高寺、太平寺、長尾寺とともに四大護国寺と称されていた。
正元年間(1259年~1260年)現在地に移ったとされる。
鎌倉期から室町期には地頭・佐々木大原氏の、戦国期は浅井亮政、久政、長政の保護を受けた。
長浜城主の羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成が一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出し、才能を認められ召し出されたという「三碗の才」の舞台となった場所でもある。
この時のお茶の水を汲んだとされる井戸が現在に伝わっている。
本堂(1715年再建)、鐘楼(1725年建築)、惣門(1725年建築・長浜城の裏門を移築したものとされる)は重文指定されている。
すてき
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タンホイザ3280投稿
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