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正覚寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月20日(水)
参拝:2024年11月吉日
愛知郡愛荘町で神社巡り中に寄らせていただきました。
「近江愛智郡志」によると、正覚寺は旧蒲生郡奥島村(現近江八幡市島町)にあり、もとは「正覚庵」と称していました。1683(天和3)年9月に愛知川村の西澤庄左衛門という人物により寺が買い取られ、現在地に移築されました。その後、旧神崎郡(現東近江市)の瓦屋寺から僧・香山を迎え、香山の師・祖寛を中興開山として請じたと伝えられています。
本尊は十一面観音立像で、この観音立像は愛知川地域で現存する彫 像の最古例に属しており、平安時代の9世紀末から10世紀初頭に造られたと推測されています。針葉材から一木造りで、1本の木材から仏像の全身を丸膨りするため継ぎ目の無い仏像であり、平安時代からそれ以前の仏像 に多くみられます。正覚寺の十一面観音立像は、愛知川地区に移転されるはるか以前に造られており、本尊として祀られていることなどから、寺が奥島村にあった頃の正覚庵の本尊であった可能性が高いそうです。
現在は愛荘町立歴史文化博物館に保管されています。
「近江愛智郡志」によると、正覚寺は旧蒲生郡奥島村(現近江八幡市島町)にあり、もとは「正覚庵」と称していました。1683(天和3)年9月に愛知川村の西澤庄左衛門という人物により寺が買い取られ、現在地に移築されました。その後、旧神崎郡(現東近江市)の瓦屋寺から僧・香山を迎え、香山の師・祖寛を中興開山として請じたと伝えられています。
本尊は十一面観音立像で、この観音立像は愛知川地域で現存する彫 像の最古例に属しており、平安時代の9世紀末から10世紀初頭に造られたと推測されています。針葉材から一木造りで、1本の木材から仏像の全身を丸膨りするため継ぎ目の無い仏像であり、平安時代からそれ以前の仏像 に多くみられます。正覚寺の十一面観音立像は、愛知川地区に移転されるはるか以前に造られており、本尊として祀られていることなどから、寺が奥島村にあった頃の正覚庵の本尊であった可能性が高いそうです。
現在は愛荘町立歴史文化博物館に保管されています。
すてき
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ゆきち1997投稿
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