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大日堂ではいただけません
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大日堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月20日(水)
参拝:2024年11月吉日
愛知郡愛荘町で神社巡り中に寄らせていただきました。
大日堂の本尊木造大日如来坐像は、豊満地区にある豊満神社の神宮寺であった豊満寺に伝来していた古像で、南北 朝から室町時代頃の作です。豊満寺は奈良時代に僧・知徳により、豊満神社の東方に創建され、大日如来を本尊とし て祀ったと伝わっています。鎌倉時代の1212(建2)年には、豊満寺の僧・慈善が大日如来のお告げを受けて浄土真宗に帰依し、その後、宝満寺(満寺)と名を改め、愛知川地区に移転しました。この時、大日如来坐像もともに遷座しましたが、宝満寺が浄土真宗に転じたため、大日堂が現在地に建てられ安置されたと江戸後期に作成された『大日堂由緒記』に伝わっています。 「近江愛智郡誌』には大日堂が1689(元禄2)年に改築したことが記されており、 本尊が大日如来であることが記された1692(元禄5)年の文書もあわせて収録さ れている。また、1690(元禄3)年に大日堂に寄進された銅製の鰐口が残されて いることからも、江戸時代の元禄頃には大日堂が確実に存在していたことがわか る。また、大日堂には宝満寺旧蔵と記された、江戸時代作の一木造りの大日如来坐像が伝わっており、大日堂と宝満寺の深い繋がりが分かります。愛知川地区には妊娠5ヶ月目のの日にお腹に晒しを巻く「帯祝い」という安 産祈願の風習があり、大日講の人は、大日堂の白い鈴緒を2本ほどもらい腹帯にしていたといいます。
同じ敷地に春日神社が鎮座しています。
大日堂の本尊木造大日如来坐像は、豊満地区にある豊満神社の神宮寺であった豊満寺に伝来していた古像で、南北 朝から室町時代頃の作です。豊満寺は奈良時代に僧・知徳により、豊満神社の東方に創建され、大日如来を本尊とし て祀ったと伝わっています。鎌倉時代の1212(建2)年には、豊満寺の僧・慈善が大日如来のお告げを受けて浄土真宗に帰依し、その後、宝満寺(満寺)と名を改め、愛知川地区に移転しました。この時、大日如来坐像もともに遷座しましたが、宝満寺が浄土真宗に転じたため、大日堂が現在地に建てられ安置されたと江戸後期に作成された『大日堂由緒記』に伝わっています。 「近江愛智郡誌』には大日堂が1689(元禄2)年に改築したことが記されており、 本尊が大日如来であることが記された1692(元禄5)年の文書もあわせて収録さ れている。また、1690(元禄3)年に大日堂に寄進された銅製の鰐口が残されて いることからも、江戸時代の元禄頃には大日堂が確実に存在していたことがわか る。また、大日堂には宝満寺旧蔵と記された、江戸時代作の一木造りの大日如来坐像が伝わっており、大日堂と宝満寺の深い繋がりが分かります。愛知川地区には妊娠5ヶ月目のの日にお腹に晒しを巻く「帯祝い」という安 産祈願の風習があり、大日講の人は、大日堂の白い鈴緒を2本ほどもらい腹帯にしていたといいます。
同じ敷地に春日神社が鎮座しています。
すてき
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ゆきち1806投稿
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