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ひゃくさいじ|天台宗釈迦山

百済寺
滋賀県 河辺の森駅

8:00~17:00(寺宝拝観は要予約)

御朱印について御朱印
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巡礼

その他の巡礼の情報

近江西国三十三観音霊場第16番
聖徳太子霊跡第34番
神仏霊場巡拝の道第141番(滋賀第9番)
びわ湖百八霊場第64番
近江湖東二十七名刹霊場第11番札所
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井伊家ゆかりの神様・ほとけ様十六巡り霊場第16番札所

百済寺について

湖東三山の古刹


紅葉の名所

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to_sun
to_sun
2025年11月25日(火) 22時28分11秒
638投稿

【釈迦山(しゃかさん)百済寺(ひゃくさいじ)】
本尊:十一面観音(植木観音)
宗派:天台宗
開基:聖徳太子

~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第35番~

 百済寺は、滋賀県東近江市百済寺町に位置します。606(推古天皇14)年、聖徳太子の建立と伝わります。百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号しました。
 「湖東三山」のひとつとして知られています。
 ~聖徳太子に創建され、「小叡山」と呼ばれて繁栄しながら、信長という一人の武将によって百済寺は灰燼(かいじん)に帰した。だがその寺が、江戸時代に再興されてこうして甦っている。たとえ伽藍は消えてしまっても、おそらく地域に住む人びとのこころのなかには、ずっと百済寺が生きつづけていたのだろう。そして、寺の再興を願う人びとの気持ちが結実して、全滅した寺が復活した。~

~『百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海』五木寛之(講談社、2004)~

百済寺(滋賀県)

【赤門】

百済寺(滋賀県)

【表参道】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【通用門】

百済寺(滋賀県)

【不動堂】

百済寺(滋賀県)

【下乗の碑】

百済寺(滋賀県)

【本坊喜見院(ほんぼうきけんいん)へ】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【本坊喜見院】

百済寺(滋賀県)

【本坊庭園】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【本坊喜見院】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【本堂・遠望台へ】

百済寺(滋賀県)

【遠望台】
~百済からの渡来人たちは、ここから比叡山のはるか向こうを眺めて、自分たちの故郷をしのんだといわれている。そのため、展望台と呼ばずに「遠望台」と呼ぶのだそうだ。~

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【弥勒坂】

百済寺(滋賀県)

【弥勒半跏石像】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【仁王門】
~草鞋(わらじ)が正面を向いて参拝者を迎える。そして、二体の金剛力士像は、正面を向かずに門の中に納まって互いに向き合っている。そういえば東大寺の南大門の仁王像が、やはり向き合っていたことが思い出される。~

百済寺(滋賀県)

【仁王 吽形像】

百済寺(滋賀県)

【仁王 阿形像】

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【弁天堂】

百済寺(滋賀県)

【鐘楼】

百済寺(滋賀県)

【本堂】
 国の重要文化財。

百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)
百済寺(滋賀県)

【三所権現社】

百済寺(滋賀県)

【仁王門】

百済寺(滋賀県)

【表門】

百済寺(滋賀県)

【本坊の猫】
 重鎮の雰囲気。

百済寺(滋賀県)
百済寺の御朱印

【御朱印】

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歴史

近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。
龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。
開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われている。
その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火、とくに天正元年4月11日に信長の焼討を受け、ルイス・フロイスは『地上の天国:Facusangi一千坊』の消失を惜しんでいます。
江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。
往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
百済寺山門(赤門)から石垣参道に沿って400mほど登ったところに本坊喜見院(きけんいん)があり、その表門内側の書院に面して壮大な池泉回遊・鑑賞式庭園があります。
庭園頂部の遠望台前面には、比叡山や湖西の山々が、背面には鈴鹿山脈を借景に取り込み旧庭園の石と山内の谷川から運んだ巨石を組み合わせて築庭されています。
池畔の平らな石を「拝み石」、渓流の源に配された石を「不動石」と呼び、自然の谷川の水が石の間を渓流となって流れ、池に落ちるように造られ、多くのコイが泳いでいます。
この百済寺は、北緯35度線上にあり西に向かって、太郎坊・比叡山・次郎坊(鞍馬山)を経て西方880kmの彼方には「百済国」がありました。
多くの渡来人は百済寺の地から「望郷・遠望の想い」で母国を偲んだと言われております。

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百済寺の基本情報

住所

滋賀県東近江市百済寺町323

行き方

近江鉄道/八日市線 「八日市駅」 下車 バス 30分 百済寺本坊前
JR琵琶湖線 「能登川駅」 下車 車 30分

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名称

百済寺

読み方

ひゃくさいじ

参拝時間

8:00~17:00(寺宝拝観は要予約)

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0749-46-1036
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.hyakusaiji.jp/
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巡礼の詳細情報

近江西国三十三箇所

第16番

仏さま:十一面観世音菩薩

御詠歌:

この山は 分けてぞ仰ぐ 後の世を 頼む仏の 御名と思へば

聖徳太子霊跡

第34番

仏さま:聖観音\n如意輪観音

神仏霊場巡拝の道

びわ湖百八霊場

第64番

仏さま:十一面観世音菩薩

近江湖東二十七名刹霊場

第11番

仏さま:十一面観世音菩薩

詳細情報

ご本尊十一面観音(植木観音、秘仏、重要文化財)
山号

釈迦山

宗旨・宗派天台宗
創建時代

伝・推古天皇14年(606年)

開山・開基

伝・聖徳太子

文化財

重要文化財
本堂
木造十一面観音立像 - 植木観音。本尊、一木造で像高2.49メートル。本堂安置[1]。奈良時代の作で滋賀県最古の木造仏である。奈良時代作の木造仏では京都府京都市山科区にある安祥寺の十一面観音立像(2.52メートル)に次いで全国二番目の大きさである。
絹本著色日吉山王曼荼羅図
黒漆蒔絵箱(紺紙金泥法華経入り) 1合
金銅唐草文磬 1面
鈸子(ばっし) 1対・銅鑼 1口 - それぞれに建長八年丙辰八月日の刻銘がある。
国指定史跡
百済寺境内
国登録有形文化財
喜見院書院
滋賀県指定有形文化財
紺紙金泥妙法蓮華経 開結経共 部分10巻
東近江市指定有形文化財
赤門(総門)
鐘楼
熊野三所権現社
木造聖観音坐像
木造如意輪観音半跏思惟像
金銅弥勒半跏思惟像
木造不動明王二童子像 3躯
木造毘沙門天立像 附:永正九年造立願文一紙
絹本著色黄不動図
絹本著色如意輪観音図
神馬図絵馬 2面
石曳絵馬
三十六歌仙屏風 1双
孔雀文銅磬 1面
百済寺懸佛7面 附:1面 8面
熊野三所権現御正躰(鏡板)
百済寺境内出土遺物 6点
瀬戸灰釉瓶子(中世墓出土)
常滑三耳壺(中世墓出土)
白磁四耳壺(中世墓出土)
土師質筒型容器(中世墓出土)
常滑ニ筋壺(中世墓出土)
信楽桧垣文壺(塔跡出土)
東近江市指定名勝
百済寺境内

ご由緒

近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。
龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。
開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われている。
その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火、とくに天正元年4月11日に信長の焼討を受け、ルイス・フロイスは『地上の天国:Facusangi一千坊』の消失を惜しんでいます。
江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。
往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
百済寺山門(赤門)から石垣参道に沿って400mほど登ったところに本坊喜見院(きけんいん)があり、その表門内側の書院に面して壮大な池泉回遊・鑑賞式庭園があります。
庭園頂部の遠望台前面には、比叡山や湖西の山々が、背面には鈴鹿山脈を借景に取り込み旧庭園の石と山内の谷川から運んだ巨石を組み合わせて築庭されています。
池畔の平らな石を「拝み石」、渓流の源に配された石を「不動石」と呼び、自然の谷川の水が石の間を渓流となって流れ、池に落ちるように造られ、多くのコイが泳いでいます。
この百済寺は、北緯35度線上にあり西に向かって、太郎坊・比叡山・次郎坊(鞍馬山)を経て西方880kmの彼方には「百済国」がありました。
多くの渡来人は百済寺の地から「望郷・遠望の想い」で母国を偲んだと言われております。

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