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引接寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月04日(月)
参拝:2024年3月吉日
東近江市で神社巡りの途中で立ち寄りました。
湖東三山の一つ百済寺の末寺にあたります。織田信長の焼き打ちで焼失してしまったため、いつ建立されたかはっきりとはわかりません。百済寺を再興した亮算の弟子・亮誉が開山し、現在の地に寺院を建立したといわれます。本尊阿弥陀如来像は、再建寺に善万坊大徳という僧が寄進したもので、平安時代の作といわれます。
また、庭園の奥にある「来迎浄土」は付近の山野に散在していた石仏や石塔を集め、昭和61年に造られたもので、大石塔を中心に二千体の石仏と三千基の五輪塔を安置し、毎年8月22日に万灯供養が行われています。来迎浄土にある石仏は、人々に大切に供養されていたものが織田信長に焼き払われ、山野に放置されたままになっていたものです。いまだに、付近の山野には石仏が放置されたままになっており、その数は数千とも数万ともいわれています。
万灯供養は、腰に大きな土鈴をつけた子供たちや信者の人々の手で、石仏一体一体に灯りをつけていきます。すべての石仏に灯りのともった様子は、たいへん幽玄な雰囲気で、夏の風物詩として有名だそうです。
湖東三山の一つ百済寺の末寺にあたります。織田信長の焼き打ちで焼失してしまったため、いつ建立されたかはっきりとはわかりません。百済寺を再興した亮算の弟子・亮誉が開山し、現在の地に寺院を建立したといわれます。本尊阿弥陀如来像は、再建寺に善万坊大徳という僧が寄進したもので、平安時代の作といわれます。
また、庭園の奥にある「来迎浄土」は付近の山野に散在していた石仏や石塔を集め、昭和61年に造られたもので、大石塔を中心に二千体の石仏と三千基の五輪塔を安置し、毎年8月22日に万灯供養が行われています。来迎浄土にある石仏は、人々に大切に供養されていたものが織田信長に焼き払われ、山野に放置されたままになっていたものです。いまだに、付近の山野には石仏が放置されたままになっており、その数は数千とも数万ともいわれています。
万灯供養は、腰に大きな土鈴をつけた子供たちや信者の人々の手で、石仏一体一体に灯りをつけていきます。すべての石仏に灯りのともった様子は、たいへん幽玄な雰囲気で、夏の風物詩として有名だそうです。
すてき
投稿者のプロフィール
ゆきち2007投稿
東海、近畿地方の巡礼系を中心に神社仏閣を参拝しています😊
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