なむらじんじゃ
苗村神社滋賀県 河辺の森駅
お詣りは24時間
名称 | 苗村神社 |
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読み方 | なむらじんじゃ |
参拝時間 | お詣りは24時間 |
参拝料 | なし |
限定御朱印 | なし |
ご祭神 | 《主祭神》 大国主命 少彦名命 《配祀神》 日本武尊 稲依別命 建部君 |
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本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 創立年代不詳なるも往古より同形式の社殿並立し南殿を天神宮、北殿を二之宮と称し今尚建部之郷12ヶ村より御供を献納される、この内7ヶ村を氏子とし総社として崇敬最も篤く、当建部郷中に累世建部を氏とする旧家は当社の氏子にのみ存する。又日本三筆の1人と云われる建部伝内の「教訓の梅」墓等が木流に現存している。棟札に「夫当社奉名苗村天満天神尊敬不知其幾年頃依及大破而隣民発送営之志修之(中略)故近世孤陋、何非可知当社元由。然共僅板棟札有之書日、弘安4年辛已8月16日棟上、棟領藤井守国其外匠11人実名有之、自辛已今享保2年丁酉迄歴代考見凡437年。是当宮之濫觴哉(下略)」とあり当社は治乱相承け一時衰微するも中古平家全盛の時小松内府重盛公の心願に依り社領五百石を寄進され近郷の大社として再び隆盛を極めた。源家一統の後は社領を没収せられた為祭祀頓に衰へたが佐々木領となり佐々木近江守居城を観音寺山に築くに及び其の巽位を以て、家臣箕作承禎をして社殿を再興せられ社領二百五十石を寄進し、其の族をして毎年奉幣献馬し祭祀に供奉された。天正年間箕作城の落城の節社殿も兵火に罹り社領も織田氏の為没収される処となる。其の後仮殿を造り漸く祭祀を奉仕して来たが寛永11年に至って社殿を再建以って今日に至る。[滋賀県神社庁HP当神社ページより抜粋] |
体験 | 祭り |
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