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小槻大社の御由緒・歴史
滋賀県 手原駅

ご祭神《主》於知別命
《配》大己貴命
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。

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