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たかのじんじゃ

高野神社の御由緒・歴史
滋賀県 手原駅

ご祭神《主》大名草彦命
ご由緒

秀峰三上山を背景に野洲川の辺り、湖南の沃野に鎮座する延喜式神名帳に記された栗太八座に一する位階ある式内社である。社伝によると、天智天皇の御代以降高野造なる人がこの地一帯を開墾開発し高野郷と名付けられ、特に飛鳥時代、和銅年間(708~714)我が国で、最初に鋳造された「和銅開珍」の鋳師(鋳銭師)高野縮禰道経一族が住んでいたことは有名であり、それ等の人々の氏神として祖先を祀ったのが、当社である。中世よりは、通称「由岐志呂宮」又「由岐宮」として尊崇されてきた。これは大同元年(806)大嘗祭の悠紀方として新稲を進納したことに由来する。南北朝時代戦火により社殿類焼するが、氏子等仮殿を営みて祭祀十年余経て貞治(1362)天文(1533)寛永(1630)と改築修造を重ね天保三年(1832)現在の社殿を建立し、平成九年に屋根を銅板葺に張替えられた。拝殿は、平成十五年に新しく建替えられ、社前の四脚門は室町時代、天文(1532)朝廷(現京都御所)の古門を拝領移築したものと云う。その際派遣された別当を松源院といい、以来当社の坊として天台宗総本山より住職を派遣され、また数々の仏像・経巻等現在所蔵の文化財の寄贈を受ける。明治維新「神仏分離」により境外隣地に移し、更に昭和二十年現地に移築する。

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