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だいほうじんじゃ

大宝神社のお参りの記録(1回目)
滋賀県栗東駅

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めんたいこマン
135投稿
投稿日:2025年01月08日(水)
参拝:2025年1月吉日
大宝神社(だいほうじんじゃ)を参拝しました。
御朱印(直書き)500円。

当神社は、701年(大宝元年)疫病流行の時、小平井村信濃堂(シナンド)(現在
の栗東市小平井)に降臨された素盞鳴尊(スサノヲノミコト)と稲田姫命を霊仙寺村
(栗東市霊仙寺)経由綣村(栗東市綣)の地先、追来神社境内に4月8日ご鎮座。
これにより疫病が鎮まったと伝えられる。
 同年5月1日社名を大宝天王宮と勅定、正一位とされた。鎮座の意は、「神社啓
蒙」「和漢三才図絵」「牛頭天王暦編」等の書物に見ることができる。翌2年から
疫病が再び流行することを恐れて、健康を広く多くの人々に授かってもらえるよう
にと、神様に感謝して4月初子の日を例大祭と定めた。同年3月12日今宮応天大
神宮の神号勅定。858~867年(貞観)以降、密教天台宗融合の両部(リョウブ)神道
となった。
 中世の大宝神社の祭礼、特に4月の例大祭・8月の相撲祭・雨乞い儀式は近郷
50余郷の氏子圏に及び、綣村生人講を中心に盛大に斎行されていた。また、境
内の建物・建造物も本殿を中心に境内社34社、建物は神宮寺の様相にて三重
搭大日・護摩堂・薬師堂・神楽堂・鐘桜堂・経堂等が建ち並び荘厳なる境内が
1713年(正徳3年)の資料から伺い知ることができる。
 1433年(永亨5年)6月18日、6代目将軍足利義教公は、天下安全可抽を祈願し
神事領311石の地頭を寄進、その朱印は現存する。9代目将軍足利義尚公は、
佐々木高頼公を近江に遠征させ、陣中上鈎村に当神社の遥拝所を建立させた。
1545年(天文14年)に佐々木定頼公により社殿の修復がなされた。
 1571年(元亀2年)織田信長の山門破却の神領没収により地頭は、上地となっ
た。しかし、1573~1591年(天正)1606年(慶長7年)の検地は、古来の由緒により免
除地となった。1629年(寛文6年)8月12日徳川将軍家は、綣村に渡邊山城守を
領地させ境内社日吉神社の燈明田一段歩を寄進、その後も他の社殿修復を子
孫に継いで怠らなかった。
 1659年(万治2年)足助氏が神主職となる。
 1713年(正徳3年)小槻禅珠が西坊法橋宮内郷を授かり、同4年別当神應院禅珍は、
法橋の官位を授かり百々御所(京都・宝鏡寺)への館入を認められた。
 1716年(享保元年)7月宝鏡寺宮の親王の病気平癒祈願を当神社に依頼され、
ご祈祷により全快され、そのお礼として四脚門両築地付をご寄進された。当初
は、桧皮葺きである1788年(天明8年)9月御室御所(京都・仁和寺)より紋章付提
燈(桜の二引)一対のご寄進があった。(現在も使用)
 1868年(慶応4年)3月王政復古により神仏分離令と共に佛眼寺(京都四条道
場時宗金蓮寺末寺大宝山)との分離、神應院の院号破棄により、同年4月社名
を大宝神社と改めた。
(大宝神社HPより)
大宝神社の御朱印
大宝神社(滋賀県)
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