守山市で神社巡りに行ってきました。 天文8年、戸田村(今の立田町)の堤防が切れ、人家が100戸以上が流され、翌年にもまた、直したばかりの堤防が切れてしまいました。さらに、天文12年、13年にも続けて堤防が切れました。そこで、戸田村の庄屋であった奥野忠左エ門は、荒れ狂う野洲川をしずめるため、堤防を築く時に娘の愛さんを人柱(人身御供)として捧げたという悲しい話が伝えられています。愛さんを祀ったのが愛の方明神です。
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