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矢放神社ではいただけません
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矢放神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月14日(木)
参拝:2024年11月吉日
野洲市で神社巡りに行ってきました。
兵主二十一社の一社(上七社)です。
神代の昔、祭神:天少彦名命は、比葦原国の大己高貴命に従順し荒振邪神を神やらいに矢い給い平らげ給う故に矢放神社と申也。此の故に当社は誠に国家経営の御神として皇家武門の御崇敬既に重し、分けて百発百中を掌にして芸は養由の奇を欺き術は孫子の策を願いしと、世々此の道を嗜む輩、当社に願いて是を祈るに其の精巧を得ずと言う事なし。其の奉賽する処の弓弦矢鏑、今猶宮中に存す。
717(養老元)年、藤原不比等三上神社御造営の余材をもって矢放神社の宝殿を造らしめ給う。
1166(永暦元)年、源頼朝伊豆に流され給うこととなり、近江路へ下り給う時三上神社と矢放神社の霊験を写し給ひ御心中に御帰洛の御祈誓立てられて通り給うとなり。後頼朝公天下を治め給うや1190(建久元)年、三上神社へ三條小鐵、宗近が打ちたる御太刀並満界曼荼羅を漁奉納なされ給い、矢放神社へは御太刀及御装束等を奉納なされ、上は横田より下は吉川庄まで御寄進賜れりと云々…と中主町史に記載されています。
兵主二十一社の一社(上七社)です。
神代の昔、祭神:天少彦名命は、比葦原国の大己高貴命に従順し荒振邪神を神やらいに矢い給い平らげ給う故に矢放神社と申也。此の故に当社は誠に国家経営の御神として皇家武門の御崇敬既に重し、分けて百発百中を掌にして芸は養由の奇を欺き術は孫子の策を願いしと、世々此の道を嗜む輩、当社に願いて是を祈るに其の精巧を得ずと言う事なし。其の奉賽する処の弓弦矢鏑、今猶宮中に存す。
717(養老元)年、藤原不比等三上神社御造営の余材をもって矢放神社の宝殿を造らしめ給う。
1166(永暦元)年、源頼朝伊豆に流され給うこととなり、近江路へ下り給う時三上神社と矢放神社の霊験を写し給ひ御心中に御帰洛の御祈誓立てられて通り給うとなり。後頼朝公天下を治め給うや1190(建久元)年、三上神社へ三條小鐵、宗近が打ちたる御太刀並満界曼荼羅を漁奉納なされ給い、矢放神社へは御太刀及御装束等を奉納なされ、上は横田より下は吉川庄まで御寄進賜れりと云々…と中主町史に記載されています。
すてき
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ゆきち1785投稿
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