天台真盛宗
観音寺のお参りの記録一覧
滋賀県南部の寺院巡りの2寺目は、1寺目の草津市の東隣りの守山市に在る世野山 上漸院 観音寺です。
天台真盛宗で、本尊は阿弥陀如来。
開山の慶俊法師の自刻と伝わる平安時代の聖観音菩薩立像は秘仏で、開帳は年1日の8月17日のみです。
729年に聖武天皇の勅願により南都大安寺の慶俊法師が地元の官僚と協力して伽藍を建立し、慶俊法師が自刻した聖観音菩薩を安置し、湖光山 圓通寺と号したのが始まりで、当時は律宗であった.月日が経ち、1159年の平治の乱で平家に敗れた源頼朝が逃亡中にこの寺を訪ね、藤杖を地に挿して再起を祈願したところ藤の芽が出てきて、観音様のお励ましに違いないと奮起したと伝わり、この藤は参道脇に現存しています。(残念ながら見落としてしまった。) その後、兵火により伽藍焼失したが、1536年に大津の西教寺第4世の真叡上人を招き再興、現本尊を奉安し、世野山 観音寺に改号し、天台真盛宗に改宗したとの事です。
本堂の裏側(北側)に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。墓地の横を通り、本堂の正面側(南側)に来ました。山門前に「8月17日 千日会 秘仏聖観音御開扉」と書かれた案内板があり、身を引き締めて山門へ。山門をくぐると正面に本堂、左側に鐘楼と手水、右側に六地蔵堂です。
本堂に上がらせて頂きました。10時を少し回っていましたので既に法要は済んでいた模様、ご住職の奥様が迎えて下さいました。後にご住職がいらっしゃって、寺の縁起・歴史をご説明して下さいました。近所の方が参拝に来たようで一人で堂内拝観。
須弥壇真ん中には室町時代後期作の本尊・阿弥陀如来立像と脇侍の勢至菩薩・観音菩薩。右側の脇間には天台真盛宗の祖である真盛上人(慈摂大師)像、釈迦三尊像、地蔵菩薩。左側の脇間には開帳されている秘仏・聖観音菩薩立像、てっきり本尊だと思っていました。文化財に指定されていないため資料がありませんが(撮影禁止で、ネットにも写真は出ていない)、高さは1m位でしょうか、製作は平安時代末期頃と感じました。間近まで寄れなかったのですが、残念な事に顔面部分には剥離がみられました。きちっと調査して修復されるといいなあと思いました。
最後に御朱印を頂きました。
尚、山門の両側に幟が立てられていましたが(写真は投稿時に解像度が落とされるのでわかり辛いですが)、そこには「藤田伝五行政のふるさと」と刷られています。私、知りませんでしたが、藤田伝五行政は明智光秀の五宿老の一人で、この観音寺はその藤田家の菩提寺。藤田伝五行政の甥の貞勝が寄進した涅槃図は市指定文化財で、毎年2月の涅槃会にて公開されるとの事です。
御朱印
地藏堂
山門
地藏堂
鐘楼
手水
六地蔵堂
本堂
本尊・阿弥陀如来と両脇侍
真盛上人(慈摂大師)像
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