まきやまじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
真木山神社ではいただけません
広告
真木山神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月14日(月)
参拝:2024年9月吉日
法然上人伊賀新二十五霊場巡礼中に寄らせていただきました。
現在は忌中ですが、父が亡くなる前の参拝なので投稿させていただきます。
本社は古くは真木山大明神、又白石明神と称した延喜式内伊賀二十五座の一座です。往古は白石山(根組原)に鎮座していましたが、天正の兵火に罹り焼失しました。創立は不詳ですが惣国風土記に「和銅3年庚戌奉圭田三十二束加神札」と在り、和銅3年以前なることが明瞭です。その後天正の末期に現在地に移遷創立されました。
茅葺の能舞台は文政5年(1822)の建立で、例祭には金春流能楽が奉納されるそうです。この能楽は、宝永年間(1704-1711)に奈良の能師が伊勢参宮の折、当社前で腹痛を起こし、治してもらえたら毎年能を奉納しようと誓って祈ったところ平癒し、以降奉納が続いています。
かつて真木山神社の別当寺として東福寺と言うお寺がありました。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり仏像などは同じ槙山郷にある西光寺に移りましたが、鐘楼は残っています。
昭和54年11月22日に浩宮徳仁親王殿下(現在の天皇陛下)が参拝されています。
現在は忌中ですが、父が亡くなる前の参拝なので投稿させていただきます。
本社は古くは真木山大明神、又白石明神と称した延喜式内伊賀二十五座の一座です。往古は白石山(根組原)に鎮座していましたが、天正の兵火に罹り焼失しました。創立は不詳ですが惣国風土記に「和銅3年庚戌奉圭田三十二束加神札」と在り、和銅3年以前なることが明瞭です。その後天正の末期に現在地に移遷創立されました。
茅葺の能舞台は文政5年(1822)の建立で、例祭には金春流能楽が奉納されるそうです。この能楽は、宝永年間(1704-1711)に奈良の能師が伊勢参宮の折、当社前で腹痛を起こし、治してもらえたら毎年能を奉納しようと誓って祈ったところ平癒し、以降奉納が続いています。
かつて真木山神社の別当寺として東福寺と言うお寺がありました。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり仏像などは同じ槙山郷にある西光寺に移りましたが、鐘楼は残っています。
昭和54年11月22日に浩宮徳仁親王殿下(現在の天皇陛下)が参拝されています。
すてき
投稿者のプロフィール
ゆきち1806投稿
東海、近畿地方の巡礼系を中心に神社仏閣を参拝しています😊
情報収集のため、興味がある投稿をされるユーザー様を勝手にフォローさせて頂いてます。ご迷惑な場合は遠慮なくご連絡ください。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。