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綾野天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月09日(木)
参拝:2023年3月吉日
甲賀市で神社巡りに行ってきました。
「綾野天満宮の紹介」より
延喜元年、菅原道真の第4子淳茂が美濃部(水口)の菅原荘園に寄寓の時、父道真公の木像を彫り、それを氏神として祀りました。初めは「美濃部宮」と称し、現在の水口中央公民館の地にありました。寛永9年以来も、江戸幕府は水口城(寛永13年第1城代坪内氏〜天和2年初代藩主加藤明友氏)の鎮護社にしました。
水口落主3代目の鳥居は、正德2年に綾野の地3反(3千㎡)を拓き御旅所を建立しました。延享3年水口藩主5代目の加藤明経氏は綾野に新社に神像箱像(道真公の木像)を遷しました。以後も歴代落主の加藤氏はこの「綾野天満宮」を崇敬し保護してきました。
と記されています。
本殿の菊鉞紋は、四男淳茂公のみに授けられたと言われ、1万2千社ある天満宮でも「菊鉞」紋があるのは大阪天満宮と綾野天満宮のみです。
「綾野天満宮の紹介」より
延喜元年、菅原道真の第4子淳茂が美濃部(水口)の菅原荘園に寄寓の時、父道真公の木像を彫り、それを氏神として祀りました。初めは「美濃部宮」と称し、現在の水口中央公民館の地にありました。寛永9年以来も、江戸幕府は水口城(寛永13年第1城代坪内氏〜天和2年初代藩主加藤明友氏)の鎮護社にしました。
水口落主3代目の鳥居は、正德2年に綾野の地3反(3千㎡)を拓き御旅所を建立しました。延享3年水口藩主5代目の加藤明経氏は綾野に新社に神像箱像(道真公の木像)を遷しました。以後も歴代落主の加藤氏はこの「綾野天満宮」を崇敬し保護してきました。
と記されています。
本殿の菊鉞紋は、四男淳茂公のみに授けられたと言われ、1万2千社ある天満宮でも「菊鉞」紋があるのは大阪天満宮と綾野天満宮のみです。
すてき
投稿者のプロフィール
ゆきち2018投稿
東海、近畿地方の巡礼系を中心に神社仏閣を参拝しています😊
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