ぐほうじ|天台宗
求法寺のお参りの記録一覧
滋賀県大津市坂本にあります、
求法寺にしました。
天台宗の寺院、別称【走井堂】
御本尊は【慈恵大師良源像(元三大師)】
比叡山延暦寺の表参道である本坂口及び、日吉大社
表参道脇にある寺院。
大津市坂本の寺社仏閣巡りの際に訪れ参拝しました。訪れた時は他に参拝客は居らずゆっくり参拝できました。賽銭箱の横に書き置きの御朱印が2種類あり、初穂料を賽銭箱に納め元三大師の御朱印を頂きました。
坂本六地蔵巡り5ヶ所目は、第一番札所早尾地蔵尊に参拝致しました。
坂本は、地蔵菩薩さまがたくさんあることで知られています。2000体とも3000体とも言われる中に、伝教大師最澄が作ったと伝わる六つのお地蔵さんがいらっしゃいます。
六体の地蔵菩薩さまは、伝教大師最澄が日本全国の六か所の聖地に宝塔を建立した際に作られたと言われ、その後、第3代天台座主・円仁が徳を授けるために叡山山麓を通る辻々に置いたとされています。
昔から「さかもとの六地蔵さんめぐり」と呼ばれ、この地方の一つの行事として広く行われていたそうですが、山津波や宅地開発などで、その六体のお地蔵さんは、いつしかどこにあるかわからなくなったそうです。
琵琶湖から東にはお墓がなかったので、人が亡くなると比叡山に運び、埋葬した上にお地蔵さんや石を置いていたそうです。この辺りは山紫水明(さんしすいめい)の地で静かなところですが、昔は風水害が多く、山津波により比叡山のお地蔵さんが坂本一帯まで流されてきたと聞いています。坂本の人たちはそのお地蔵さんを各家々の軒先などに祀ったため、坂本の町にはいたるところにお地蔵さんがいらっしゃる。また、日吉大社の参道脇から北に向かってまっすぐ伸びる歴史街道「山の辺の道」沿いにも広範囲にわたり無数のお地蔵さんが散在しています。
八講堂の千体地蔵は、お地蔵さんが田畑を耕作するごとに発見され、誰が言うこともなく、八講堂跡に集められたものです。その昔、比叡山は一般の人の参拝が制限されていたので、せめて山麓で読経が聞こえるこの辺りにお地蔵さんを祀って成仏を祈ったのだとか。
今でも、道路工事やガス工事中にひょっこりとお顔を出されることがあるそうです。
(ネットより一部参考)
こちらは、日吉大社の三の鳥居脇、早尾神社の階段下にあり、「かくれんぼう地蔵」とも呼ばれています。このお地蔵さんは、隣接する求法寺さまが護って来られているとのことで、皆さん、求法寺さんの境内お堂として投稿されていらっしゃるようですので、私も皆さんに倣って投稿させて頂きました。
西教寺を開山した真盛(しんせい)上人が誕生した日に姿が消え、亡くなられた時にひょっこりと姿を現したことから、そのように呼ばれています。また、伝教大師最澄が、子女育成を祈願して作られたこともあり「子育て地蔵」とも。六つのお地蔵さんの中でも立派で重厚な六角堂に安置されています。
早尾地蔵尊さまは頭の病、安産、子授けのご利益があるそうです。
坂本の六地蔵」は、日吉大社境内にある「早尾の陰坊地蔵」以外は通常開扉していません。
他所は毎年8月23日のみ開扉され、その日は御朱印も拝受することができます。こちらの早尾地蔵尊さまは、他の札所(8/23のみ)と違い、常時御開帳されています。
まずは、求法寺さま本堂に参拝🙏🏻
早尾地蔵尊さまの御朱印もこちらで頂けます。幸運なことに、御帳面にお書き入れ下さいました。感謝🙏🏻🥰
御本堂内
御本堂屋根瓦
手水舎
坂本六地蔵巡り 一番札所 早尾地蔵尊 六角堂
六角堂
慈摂大使霊場第四番札所の扁額
真盛上人二十五霊場の札所なんですね。
早尾地蔵尊さま
伝教大師最澄さま作
由緒書き
御札を頂きました。😊🙏🏻
お堂前の苔むした石垣
穴太衆の石積み
お堂前の道路
次は、札所最後の三番札所 苗鹿地蔵尊さまに向かいます。
第4世天台座主・安恵(801年~864年)の里坊として創建された。
第18代天台座主・良源(元三大師)がこの地で入山修行の決意を固めたことから求法寺と称するようになったとされる。
1571年織田信長の比叡山焼討ちで焼失したが、1714年元三大師堂として再興された。
走井堂
走井堂
走井堂
六角堂(地蔵堂)
六角堂(地蔵堂)
早尾地蔵尊(子育て地蔵。伝・最澄作)
早尾地蔵尊(子育て地蔵。伝・最澄作)
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