御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

みおじんじゃ

三尾神社の御由緒・歴史
滋賀県 三井寺駅

ご祭神伊弉諾命
〔配祀神〕白尾神 黒尾神
創建時代859年(貞観元年)
創始者円珍(園城寺初代長吏)
ご由緒

太古の頃、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられました。
この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられました。
ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、三井寺山中琴緒谷(ことおだに)に出現。それが卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角より現れたため、当社の使いとして瑞祥の神獣である兎が選ばれたと伝えられいます。
白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲3(769)年3月14日(第二の卯の日)の出現とされています。
社殿に関しては貞観元年(859)の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興したものである。慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列された。明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。
また「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名付けて三尾が崎という。養老年間に道明、徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像をつくる。その像材は近江国高島郡三尾が崎より流出す。漂ふて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはい出て陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち三尾明神なり」。とある。この故事により、毎年一月わらで蛇形をつくり悪疫退散を祈る蛇打ちの神事がある。
七月二十二日、二十三日に境内社日御前神社で朝瓜祭が斎行される。

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ