せいほどう
清保堂
埼玉県 幸手駅
清保善士 は、大字権現堂の松山(現在の北三丁目)にあった熊野山正智院を開山した方で、このお堂もその一角にあったようです。慶安三年(1650)十一月四日に亡くなり、遺言によってここに葬られていますが、没後も耳の病気に悩む人々の信仰を集め、治った人々は耳の通りがよくなったということで、錐を奉納する風習がありました。
名称 | 清保堂 |
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読み方 | せいほどう |
宗旨・宗派 | |
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ご由緒 | 清保善士 は、大字権現堂の松山(現在の北三丁目)にあった熊野山正智院を開山した方で、このお堂もその一角にあったようです。慶安三年(1650)十一月四日に亡くなり、遺言によってここに葬られていますが、没後も耳の病気に悩む人々の信仰を集め、治った人々は耳の通りがよくなったということで、錐を奉納する風習がありました。 |
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