七本木神社のお参りの記録一覧
七本木神社(しちほんぎ~)は、埼玉県児玉郡上里町七本木にある神社。式内論社。祭神は、素戔嗚尊。
創建は不詳だが、もともと当地を開拓した旧家金井家の邸内社として祀っていた八幡神社が村の鎮守となったもの。『明細帳』によると、明治時代の1909年に榛名大神社(榛名宮神社)、愛宕神社、白岩神社、稲荷神社2社、八幡神社2社を合祀して社名を「七本木神社」と改称した。この合祀した神社のうち、「榛名大神社」から遷された幣芯には「今木青□坂稲実池上神社」と墨書きされていることから、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲実神社 / 今木青八坂稲実荒御魂神社 / 今城青八坂稲実池上神社 小」のいずれもの論社となっている。
当社は、JR高崎線・神保原駅の南西2.5kmの平地の住宅街の中にある。境内は広々としていて、古大木もほどよく立っており、場の雰囲気は良い。社殿のサイズは大きくはないので、おそらく旧村社といったところか。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者は見かけなかった。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<庚申塚>。98基の庚申塔があり、最古のもので1731年のものがあるとのこと。
当社はいわゆる<参道>というものがなく、なんとなく北向きに進む。境内右手(東側)にある、重厚な瓦屋根の<手水舎>。
手水舎の後ろには、1本だけ注連縄が巻いてある樹木がある。<御神木>かな。
境内左手(西側)にある<社務所>。新しくてしっかりとした建物だが無人。
社務所近くから北方向にある社殿を望む。樹木の間引き具合が絶妙で、境内は明るく、でも樹木は少なすぎず良い感じ。
<拝殿>遠景。広々とした境内に比して、社殿は小さい。
左側の<狛犬>。顔が大きくマンガチックなタイプ。
右側の<狛犬>。そこそこ古いのかしら?
<拝殿>全景。まっかなトタン葺(たぶん)と、しっかりした注連縄が印象的。
<社殿>全景。扁額の位置には、絵が描かれていたような板が掲げてあるが、完全に色落ちしている。
本殿後ろの<本殿>。板やトタンで覆われている。
覆屋の中を覗くとこんな感じ。本殿は一間社流造といったところか。
本殿後ろの石碑群。<天照皇大神・倉稲魂命>、<大山祇命・金山彦命>などの文字が見える。
社殿手前左側にある境内社の鳥居。真っ赤な鳥居なので<稲荷社>かな?
<稲荷社>と思われる社殿。
最後に入口鳥居付近から境内全景。参道らしいものがないので、ちょっとした公園に見える。(^▽^)/
一本少なかったら!!一本少なかったら都会っぽかったのに!!!とか思ってませんよ。
この神社に合祀された榛名宮神社が式内社"今城青坂稲実神社"、"今城青坂稲実荒御魂神社"、"今城青坂稲実池上神社"の論社とされていました。
《鳥居と社号碑》
《由緒書き》
七本木は、ここにもともと古木が7本あったからとのこと。まんまとか言わない。
《庚申塚》
詳細は写真にて。このような庚申の日の行動は庚申信仰と呼ばれ、青面金剛は人間から抜け出る三虫を抑える神とされています。
ちなみに、青面金剛は仏教系ですが、庚申信仰は道教を起源としており、日本人特有の混合した新たな信仰の形態です。
《表参道》
《手水舎》
枯れてます。あと水瓶がえらくでかい。
《社務所》
明治の神社の認定記念でしょうね。
《本殿》
《末社?》
末社と倉庫が合体しています。
ホントに、加美郡の今城三社はどこなんでしょうね。まぁ災いが起きたとき遷座してたりしたのかもしれませんが。
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