御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

やくしどう・みずはんれっしちょうこんひ

薬師堂・水藩烈士弔魂碑のお参りの記録一覧
埼玉県 岡部駅

1〜2件2件中
くし
くし
2022年01月06日(木)1703投稿

中の家の駐車場の前にお堂と大きな地蔵があるのを見つけ、気になってちょっと寄ってみました。
調べてみたところ薬師堂で、この地で果てた水戸天狗党の名もなき隊士2名を慰霊する弔魂碑とのこと。

幕末のある日、尊皇攘夷を訴える水戸天狗党は筑波山に挙兵、いわゆる「天狗党の乱」
ところが軍資金集めと称して、栃木、足利、桐生などで、放火、殺人、強盗などヒャッハー!しすぎた天狗党は、近隣諸藩やブチキレた現地住人などから激しく攻撃され、ついには那珂湊の戦いで敗北。

脱出した千余人は茨城北部の大子町に落ち延び、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を頼るべく京を目指します。
そして太田宿から利根川を渡り本庄宿に向かう途中、この地で待ち構えていた岡部藩の藩兵と激突し逃走。
(後に天狗党は頼りとした慶喜自身に追討され壊滅)

その際に切り殺された氏名不詳の2名の天狗党隊士を不憫に思った血洗島の人々が薬師堂に葬り、大正2年に供養碑を建て、その際渋沢栄一が碑文を寄せたとのこと。

かって自身も尊皇攘夷の志士として天狗党とも行動を共にしながら、後に徳川慶喜に使えて幕臣となった渋沢栄一は、頼りとしていた慶喜に冷徹に切り捨てられてしまった天狗党に複雑な思いがあったのかもしれません。
栄一が「新しい日本を作りたい」と志した原動力の一端が、この小さなお堂に垣間見えた気がします。

薬師堂・水藩烈士弔魂碑(埼玉県)

小さな薬師堂
薬師堂自体の由来はわからず。
どうも血洗島は、なまじ渋沢栄一でクローズアップされてしまったせいか、それ以前の歴史がおざなりというか、ググってもあまり出てこないんですよね(ーωー)

薬師堂・水藩烈士弔魂碑の地蔵

大きなお地蔵様、渋沢一族の三代子孫にあたる渋沢宗助という人が建立したものだそうです

他7枚の写真を見る
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ