そくしょういん|真言宗智山派|岩殿山
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息障院について
伝源範頼屋敷跡
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源頼朝の弟、義経の兄の範頼の館の跡と伝えられています。吉見町のホームページには以下の記述があります。範頼が埼玉を拠点にしていたとは知りませんでした。有名な頼朝、義経に比べて、同じ兄弟でも分かっていないことが少なくないようです。
「吉見町大字御所地内の息障院がある一帯が、源範頼の居館跡と伝えられている。源範頼は頼朝の弟で平治の乱後、岩殿山に逃げ比企氏の庇護によって成長した。頼朝が鎌倉で勢力を得た後も吉見に住んでいたと思われ、館を中心とするこの地を御所と呼ぶようになったと言われている。」
「源平の合戦では義経と共に平氏追討軍を指揮していたが、頼朝が征夷大将軍になると謀反の疑いをかけられ、建久四年(1193年)八月に伊豆に流された。範頼のその後については不明であり『修善寺で自刃』『現横浜市の 太寧寺 だいねいじ で自刃』『伊予国(愛媛県)の河野氏を頼り、そこで没した』『北本市石戸宿で没した』などの諸説がある。」
境内・文化財
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当山は、真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く、天平年中(730年ごろ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ごろ)坂上田村麻呂将軍の開基によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末〜鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国末期から江戸時代で、その当時は、末寺百二十余か寺を数え、隆盛を極めたものである。
息障院の情報
| 住所 | 埼玉県比企郡吉見町御所146-1 |
|---|---|
| 行き方 |
息障院の基本情報
| 名称 | 息障院 |
|---|---|
| 読み方 | そくしょういん |
| 参拝料 | なし |
| 電話番号 | 0493-54-0028 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 不動明王 |
|---|---|
| 山号 | 岩殿山 |
| 院号 | 息障院 |
| 宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
| 創建時代 | 天平年間(729-749) |
| 開山・開基 | 行基菩薩 |
| 文化財 | 本尊不動明王坐像(県指定有形文化財)
|
| ご由緒 | 当山は、真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
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| 体験 |
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