おおくらじんじゃ
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楽しみ方大蔵神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月20日(金) 18時36分14秒
参拝:2026年1月吉日
大蔵神社は、平安時代末期、源氏の棟梁源為義の次男である源義賢(木曽義仲の父)が館を構えていたと伝わる地『大蔵館跡』に鎮座しています。
源義賢公は上野国多胡を本拠としましたが、武蔵国の最大勢力である秩父重隆と結んで、その娘をめとります。仁平3年(1153)に当地に移ると、上野・武蔵両国にまたがり勢力を伸ばしました。しかし、これが兄の源義朝の勢力と衝突するところとなり、久寿2年(1155)甥の悪源太義平に館を襲撃され大蔵合戦におよび、重隆ともども討たれました。
義賢公の次子で当時2歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられました。これが後の旭将軍木曽義仲になります。
当社のご祭神は大山咋命様。
別当の安養寺が天台宗であることから、比叡山延暦寺の守護神である日吉山王権現を寺の草創と同じ頃に勧請したと考えられています。
また、口碑では、義賢公が大蔵館を新築後に武神として尊崇していた日吉山王権現を勧請したとも伝えられますが、勧請年代と居城年代が合わないそうです。
大正7年に字宮之裡という場所から大蔵館跡地に移り、山王社から現社号に改めたといいます。
境内地はもとは末社の稲荷神社の社地になり、大蔵神社が移転する前から大蔵館跡に鎮座していたので、末社でありながら立派な社殿を構えています。
源義賢公は上野国多胡を本拠としましたが、武蔵国の最大勢力である秩父重隆と結んで、その娘をめとります。仁平3年(1153)に当地に移ると、上野・武蔵両国にまたがり勢力を伸ばしました。しかし、これが兄の源義朝の勢力と衝突するところとなり、久寿2年(1155)甥の悪源太義平に館を襲撃され大蔵合戦におよび、重隆ともども討たれました。
義賢公の次子で当時2歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられました。これが後の旭将軍木曽義仲になります。
当社のご祭神は大山咋命様。
別当の安養寺が天台宗であることから、比叡山延暦寺の守護神である日吉山王権現を寺の草創と同じ頃に勧請したと考えられています。
また、口碑では、義賢公が大蔵館を新築後に武神として尊崇していた日吉山王権現を勧請したとも伝えられますが、勧請年代と居城年代が合わないそうです。
大正7年に字宮之裡という場所から大蔵館跡地に移り、山王社から現社号に改めたといいます。
境内地はもとは末社の稲荷神社の社地になり、大蔵神社が移転する前から大蔵館跡に鎮座していたので、末社でありながら立派な社殿を構えています。

大蔵神社入口

『史蹟 大蔵館趾』

大蔵館跡説明板



『埼玉県指定記念物 史跡 大蔵館跡』

こちらも大蔵館跡の説明書き

日吉山王大権現


社務所

手水舎

記念碑

大蔵神社本殿

三峰社、大神宮社、八幡社が合祀されています。

八坂神社(建速須佐之男命、大雷命、建御名方命)
雷電社、諏訪社が合祀されています。
雷電社、諏訪社が合祀されています。

山王大権現

資料には天神社とありました。

富士浅間神社

『庚申仙元大日神』と刻まれています。


土塁の上に遊具があります。

大蔵稲荷神社(倉稲魂命、菅原道真公、豊受姫命、火産霊命)
菅原神社、木ノ宮社、愛宕社が合祀されています。明治27年に王子稲荷神社社司から「王子稲荷大神分霊安鎮証書」を受けています。
菅原神社、木ノ宮社、愛宕社が合祀されています。明治27年に王子稲荷神社社司から「王子稲荷大神分霊安鎮証書」を受けています。

『大蔵八坂神社御神輿製作の由来』の額

こちらは稲荷神社の参道

大蔵稲荷大明神

愛宕神社。
火防の神として信仰されます。
火防の神として信仰されます。

境内の東側になります。

すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく916投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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