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★鎌倉街道上道散策(嵐山町〜小川町)3
【散策ルート】
①東昌寺〜②平澤寺〜③志賀観音堂〜④杉山城跡〜⑤普光寺〜⑥輪禅寺〜⑦八和田神社〜⑧普賢寺〜⑨諏訪神社奉祀跡〜⑩馬頭観音(鎌倉街道説明板)
また、児玉往還へ戻り東昌寺を過ぎて踏切を越え、嵐山町役場方面へ行くとその入口交差点に庚申塔が目に入ってきます。そこが志賀観音堂です。
③志賀観音堂
志賀観音堂は嵐山町志賀にある曹洞宗寺院です。創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期(貞享5年1688年銘)から明治期のかけての石造物が残されていることや、江戸期には志賀が川越児玉往還の宿駅となっていたことから、江戸期の創建が窺えます。本尊の観世音菩薩像は、比企西国三十三所観音霊場28番となっている他、境内の石仏群は嵐山町有形文化財に指定されています。宝城寺管理の観音堂です。
高速道路方面へ行くと田園風景になってきます。その丘に玉ノ岡中学校が見えてきます。その奥に小高い丘にのぼりやテント、案内板が見えてきて、それに従って校内を進めば杉山城跡に辿り着きます。
児玉往還が、その道沿いに山城があり、寺院や庚申塔が多くある事を考えると鎌倉街道跡の一部と考えられる。
④杉山城跡
市野川を挟んで「鎌倉街道」を見下ろす山の頂に杉山城跡はあります。
戦国時代の山城で、約14万平方メートルという狭い範囲の中で、高低差を利用しながら、およそ10の郭を配置しています。本郭を中心に3方向へ郭を広げ、塁線には折歪で見通しを妨げるための屈曲を多用し、虎口には進入方向の側面から矢を射掛ける横矢が仕掛けられる等の防御施設が見られます。
こうした築城技術が評価され、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」といわれています。
その一方で、城主や築城年代については不明な点が多かった城跡ですが、戦国時代の中頃に関東管領山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による抗争の時期に築城され、短期間で廃城となったことがわかってきました。また、古河公方の『足利高基書状写』によると1520年頃の「杉山の陣」の時代の城とされています。
平成20年には比企城館跡群として国指定史跡に指定され、歴史ファンが県外からも訪れる隠れた観光スポットとなっているようです。
③志賀観音堂 参拝口
③志賀観音堂 本堂
③志賀観音堂 石碑
③志賀観音堂 説明板
③志賀観音堂 六地蔵像
③志賀観音堂 観音像
③志賀観音堂 観音像
③志賀観音堂 石仏群
④杉山城跡 駐車場にある案内板
④杉山城跡 玉ノ岡中学校
④杉山城跡 校門付近の案内板
④杉山城跡 城跡案内板
④杉山城跡 城跡風景
④杉山城跡 出郭案内板
④杉山城跡 出郭風景
④杉山城跡 大手案内板
④杉山城跡 大手口案内板
④杉山城跡 大手口風景
④杉山城跡 外郭案内板
④杉山城跡 外郭風景
④杉山城跡 馬出郭案内板
④杉山城跡 馬出郭風景
④杉山城跡 食い違い虎口案内板
④杉山城跡 虎口風景
④杉山城跡 本郭風景
④杉山城跡 本郭からの風景
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