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しょうぐんさわひよしじんじゃ

将軍澤日吉神社のお参りの記録一覧
埼玉県 武蔵嵐山駅

タケ
タケ
2023年03月08日(水) 18時39分27秒
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★鎌倉街道上道散策(鳩山町)4
【散策ルート】
①黒石神社〜②金澤寺〜③鎌倉街道看板〜④羽黒堂〜⑤笛吹峠〜⑥明光寺〜⑦日吉神社〜⑧縁切橋

 明光寺から程なく右手に見えてくるのが将軍沢日吉神社です。

⑦日吉神社
 将軍沢日吉神社は、比企郡嵐山町将軍沢にある神社です。将軍沢日吉神社の創建年代等は不詳ながら、坂上田村麻呂が東征の際の延喜10年(910)に天台宗明光寺を建立、明光寺の鎮守として山王社を創建したのではないかとも推測されています。祭神は大山咋命で、将軍沢の鎮守として祀られ、明治維新後地内の大宮権現社(現将軍神社)、神明社、愛宕社、稲荷社を当社境内へ遷しています。
 祭日は春季大祭4月10日、秋季大祭10月20・21日

 鎌倉街道に架かる橋です。欄干、案内板が目印ですが、橋というには小さくて気が付かず通過してしまう可能性があります。

⑧縁切橋
 坂上田村麻呂(758~811年)伝説の残る所で、付近の将軍沢の地名も坂上田村麻呂に由来するようです。
 案内板には、『征夷大将軍坂上田村麻呂が、軍勢を引き連れてこの地に滞在、岩殿の悪龍退治の準備に忙殺されていた。そこへ、将軍の奥方が京都から心配のあまり尋ねてきたという。しかし、坂上田村麻呂は「上の命令で、征夷大将軍として派遣されている我に、妻女が尋ねるとは何事だ逢わぬぞ」と大声でどなった。それからいくら家来がとりなしてもお許しがなかった。
翌朝、奥方は京へ帰る出発のためこの地へ来た。将軍は此の坂下まで来て「大命を受けて出陣しているのに追い来るとは何ごとだ。今より縁を切る。早々に立ち去れ。」と、宣言したという。
それからこの橋は「縁切り橋」といわれている(以下略)』とあります。
 岩殿に向かうとするならば、坂上田村麻呂は、京から東山道を経由したことになります。悪龍退治伝説場所は岩殿山付近(岩殿観音、足利基氏陣城堀跡、比企判官旧地)であります。実際の悪龍とは中央集権国家に反抗する地方勢力の誰かだったのではないかと思われます。
 関東圏の東山道(旧鎌倉街道)では鎌倉時代以前にも伝説があり、その後の鎌倉街道として整備されたことは興味ある話題です。

将軍澤日吉神社の鳥居

⑦日吉神社 社号標柱と鳥居

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社 坂上田村麻呂将軍沢石碑

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社 参道

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社 境内

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社 拝殿

将軍澤日吉神社の末社・摂社

⑦日吉神社 境内社

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社 境内社

将軍澤日吉神社の末社・摂社

⑦日吉神社 境内社

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑦日吉神社

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑧縁切橋

将軍澤日吉神社のその他建物

⑧縁切橋 標板

将軍澤日吉神社(埼玉県)

⑧縁切橋 説明板

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