てじろじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方手白神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月08日(日) 20時59分48秒
参拝:2025年12月吉日
嵐山町吉田に鎮座する神社です。
当社は手の神様として信仰され、手に関することならば技術の上達や病気にまでご利益があるといいます。ご祭神は手白香姫命(たしらかひめのみこと)様。第24代仁賢天皇の皇女で、継体天皇の皇后となり欽明天皇の母となった御方です。
当社の起源は、宝永3年(1706)に別当泉蔵院から領主折井氏に提出された伝説として以下のようなお話があります。
『手白香姫は、兄の武烈天皇の人民に対する苛酷な政治や酷刑を諌めたが聞き入れないので、苦難する民衆を救わんと密かに東国に下り、この吉田の里に来て人々を教化し、広く里人から慕われるようになりました。
ある日、姫が池のほとりで手を洗う折に懐中の鏡を水中に落としてしまいました。水底を探しましたがついに見つけることはできませんでした。その後、都に戻り継体天皇の皇后となりました。鏡を落とした池は「鏡浄呂(きょうしょうろ)池」と名づけられ、姫の命により鏡浄呂弁財天を祀りました。
時代は下り平安時代中期、鏡浄呂池の堤が度々破れるので、時の村長蘆田基氏(あしだもとうじ)が弁財天に参詣したところ、神気が立ち上り手白香姫が現れ「吾は先年ここで鏡をなくしたので魂はまだここに止まっている。吾を厚く信仰し、手の業を望むものや手の病気を患うものは宮地に来て祈るように」とのお告げがあり、基氏は天治元年(1124)当社を創建しました。』
大正2年に、峯野神社、琴平神社、五龍神社、六所神社、厳島神社(鏡津宮弁財天)が合祀され、吉田の鎮守として機能するようになったといいます。本殿は六所神社の社殿を移築したものになり、町指定有形文化財に指定されています。
✼••┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈••✼
手白神社は淡洲神社を調べていた時に知り、なぜ埼玉に継体天皇の皇后である手白香姫様が祀られているのか、興味を惹かれて参拝しました。
当社の起源として伝わる"池に鏡を落とす"お話は全国各地にあり、そういう池のことを鏡池と呼ぶことが多いようです。
手白香姫様と武蔵国および比企郡との直接的な関係はよくわからずで、実際に手白香姫様がこの地に来たと考えるのは難しいのかなと思います。ただ、手白香姫様の母方の系統が和珥氏に繋がるので、もしかしたらこの辺りに入植した渡来系氏族と何か関連があるのかもしれません。
また、この時代に鏡を所持できる方は限られると思うので、この伝説に出てくる手白香姫様とされる御方は、卑弥呼のような巫女的な存在だったのではないかと個人的に妄想します。
当社は手の神様として信仰され、手に関することならば技術の上達や病気にまでご利益があるといいます。ご祭神は手白香姫命(たしらかひめのみこと)様。第24代仁賢天皇の皇女で、継体天皇の皇后となり欽明天皇の母となった御方です。
当社の起源は、宝永3年(1706)に別当泉蔵院から領主折井氏に提出された伝説として以下のようなお話があります。
『手白香姫は、兄の武烈天皇の人民に対する苛酷な政治や酷刑を諌めたが聞き入れないので、苦難する民衆を救わんと密かに東国に下り、この吉田の里に来て人々を教化し、広く里人から慕われるようになりました。
ある日、姫が池のほとりで手を洗う折に懐中の鏡を水中に落としてしまいました。水底を探しましたがついに見つけることはできませんでした。その後、都に戻り継体天皇の皇后となりました。鏡を落とした池は「鏡浄呂(きょうしょうろ)池」と名づけられ、姫の命により鏡浄呂弁財天を祀りました。
時代は下り平安時代中期、鏡浄呂池の堤が度々破れるので、時の村長蘆田基氏(あしだもとうじ)が弁財天に参詣したところ、神気が立ち上り手白香姫が現れ「吾は先年ここで鏡をなくしたので魂はまだここに止まっている。吾を厚く信仰し、手の業を望むものや手の病気を患うものは宮地に来て祈るように」とのお告げがあり、基氏は天治元年(1124)当社を創建しました。』
大正2年に、峯野神社、琴平神社、五龍神社、六所神社、厳島神社(鏡津宮弁財天)が合祀され、吉田の鎮守として機能するようになったといいます。本殿は六所神社の社殿を移築したものになり、町指定有形文化財に指定されています。
✼••┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈••✼
手白神社は淡洲神社を調べていた時に知り、なぜ埼玉に継体天皇の皇后である手白香姫様が祀られているのか、興味を惹かれて参拝しました。
当社の起源として伝わる"池に鏡を落とす"お話は全国各地にあり、そういう池のことを鏡池と呼ぶことが多いようです。
手白香姫様と武蔵国および比企郡との直接的な関係はよくわからずで、実際に手白香姫様がこの地に来たと考えるのは難しいのかなと思います。ただ、手白香姫様の母方の系統が和珥氏に繋がるので、もしかしたらこの辺りに入植した渡来系氏族と何か関連があるのかもしれません。
また、この時代に鏡を所持できる方は限られると思うので、この伝説に出てくる手白香姫様とされる御方は、卑弥呼のような巫女的な存在だったのではないかと個人的に妄想します。





拝殿の修復中でした。


石製のお賽銭箱


手水舎

社務所

本殿


伊勢神宮参拝記念碑

嵐山町誌によると「鏡浄呂の清水」と紹介されていました。本殿の後ろにあります。


境内社。祭神不明です。

神楽殿

吉田地区地籍調査事業記念碑

合祀記念碑

神楽殿のさらに奥、日が当たって開けていて、複数の人の気配がしたので公園や広場みたいになっているのかな?と思いました。写真では伝わりにくいですが、坂が急で落ち葉で滑りやすく転びそうだなと思い行くのはやめました。後日調べたらこの奥、墓地でした😲

手白神社本殿彫刻と大スギの説明板。薄くて読みづらい😵

ご神木




嵐山町Web博物誌には『今では鏡浄呂池について吉田の人さえほとんど知らない。もっとも昔、神社の前の下に3坪か4坪の池があり、松の木と碑が建っていたというが、今では桑畑になってしまい何の面影もない。』とあります。最初はここが鏡浄呂池なのかと思いましたが、違ったようです。

池の上に祠がありましたが、ここも急で滑りやすく、民家の敷地内の可能性もあるので行くのはやめておきました。

神社を散策中ずっとドタバタと建物が揺れるような物音がしていて、近くのお家で子供達が遊んでいるのかな?と思っていました。
今思うと、声を聞いたわけでもないのに何で子供だと思ったのか?🤔結局どの建物から音がしているのかわからずでしたし、誰とも会いませんでした。墓地の件といい、とにかく複数の人の気配をずっと感じました。霊感はありませんが、なんか不思議な体験でした。
今思うと、声を聞いたわけでもないのに何で子供だと思ったのか?🤔結局どの建物から音がしているのかわからずでしたし、誰とも会いませんでした。墓地の件といい、とにかく複数の人の気配をずっと感じました。霊感はありませんが、なんか不思議な体験でした。

道路側からアップで撮ってみました。池の上にあるし、やはり弁天様かな?
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく912投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。





