すがやじんじゃ
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菅谷神社の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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その他 | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
参拝時間 | 参拝自由 |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
★鎌倉街道上道散策(嵐山町)5
【散策ルート】
①大行院神明殿〜②源義仲公生誕伝承地〜③源義賢墓〜④大蔵館跡〜⑤大蔵神社〜⑥鎌形八幡神社〜⑦班渓寺〜⑧菅谷館跡〜⑨菅谷神社
嵐山渓谷に入る道から国道(川越街道)
へ、国道を南下すると、菅谷館跡が見えてきます
⑧菅谷館跡
菅谷館跡は、畠山重忠が居住した地と伝えられ、続日本百名城のひとつに挙げられています。
畠山重忠は、源平争乱から鎌倉幕府創立期にかけて、多くの武勇や逸話を残した武将として有名です。畠山重忠は北武蔵の名族秩父平氏の系譜をひき、長寛2年(1164)に畠山庄司重能の次男として現在の深谷市畠山の地に生まれました。源頼朝が石橋山に挙兵した時は平家方に属し、頼朝方の三浦氏を討ちました。その後、頼朝に仕え鎌倉入りの際には先陣を務めました。また、宇治川の戦いや一の谷の戦い、さらには奥州藤原氏の征討などで多くの手柄をたてました。武蔵武士の中心人物として人々の信望を集め、頼朝からも厚く信頼されていました。
頼朝死後も御家人の実力者としてその名を高めました。しかし幕府内部の勢力争いにまき込まれ、北条氏の陰謀により42歳の若さで武蔵国二俣川(今の横浜)で非業の死をとげました。
重忠の死後、所領の大半は没収されましたが、彼の誠実潔白な人柄を惜しむ声もあり、幕府は重忠の夫人に畠山の名跡を継がせるよう配慮しています。
重忠に縁があると伝える史跡や寺社が数多くあり、重忠への追慕の念がいかに根強いものであったかを物語っています。
国道を挟んで反対側へ行くと菅谷神社が見えてきます。
⑨菅谷神社
菅谷神社は、比企郡嵐山町菅谷にある神社です。源平合戦で活躍した畠山重忠が、恩賞として領有した菅谷の地に居館を建立(菅谷館跡)、居館の守護神として日吉大社を勧請して山王社と称し建久元年(1190)に創建したといいます。畠山重忠死後、菅谷の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して日枝神社と改称して明治4年村社に列格、明治40年4月に字本宿の無格社稲荷神社と字城の無格社天神社の両社を合祀しています。祭神は大山咋命。境内社は天手長男神社、稲荷神社、津島神社、天神社、秩父神社があります。
祭日は勧学祭4月第1日曜日、天手長男神社祭は4月3日、弁財天祭は4月初巳の日、津島神社夏祭は7月13日に近い土日、例祭は10月17日、天手長男神社祭は12月3日に行われています。
⑧菅谷館跡 案内地図(歴史館)
⑧菅谷館跡 重忠と菅谷館跡見所
⑧菅谷館跡 畠山重忠像
⑧菅谷館跡 畠山重忠と石碑
⑧菅谷館跡 標柱
⑧菅谷館跡 土塁跡
⑧菅谷館跡 土塁跡
⑧菅谷館跡 本郭
⑧菅谷館跡 御城印
⑨菅谷神社 社号標柱
⑨菅谷神社 鳥居
⑨菅谷神社 参道
⑨菅谷神社 神楽殿
⑨菅谷神社 手水舎
⑨菅谷神社 狛犬
⑨菅谷神社 狛犬
⑨菅谷神社 拝殿
⑨菅谷神社 拝殿
⑨菅谷神社 境内社
⑨菅谷神社 飛地境内社(厳島神社)
⑨菅谷神社 飛地境内社(厳島神社)
菅谷神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(1枚)
御朱印(1枚)
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