すがやじんじゃ
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楽しみ方菅谷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月20日(金) 18時56分50秒
参拝:2026年1月吉日
嵐山町菅谷に鎮座します。菅谷の地は、源頼朝の有力御家人として平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した畠山重忠の居館「菅谷館」の跡地として知られています。
当社はもとは『山王社』と称し、建久元年(1190)9月19日に畠山重忠公の請願により、近江国の日吉山王権現の分霊を勧請されました。
明治40年に稲荷神社と天神社を合祀し、村名にちなんで菅谷神社と改称されています。
当社はもとは『山王社』と称し、建久元年(1190)9月19日に畠山重忠公の請願により、近江国の日吉山王権現の分霊を勧請されました。
明治40年に稲荷神社と天神社を合祀し、村名にちなんで菅谷神社と改称されています。


ご由緒書き



雰囲気のある参道

敬神生活の綱領


社務所

手水舎

社殿







ご神木

菅谷神社改修記念碑

『天神社』
もともとは菅谷館跡三の郭の土手の上にありました。
もともとは菅谷館跡三の郭の土手の上にありました。

『秩父神社』
畠山重忠公をご祭神としています。
重忠公は菅谷に居住中に民を大変労ったため、その死を悼んだ民衆が貞永元年、命日である6月12日にその御霊を勧請し当社の末社としました。
畠山重忠公をご祭神としています。
重忠公は菅谷に居住中に民を大変労ったため、その死を悼んだ民衆が貞永元年、命日である6月12日にその御霊を勧請し当社の末社としました。

『稲荷神社』

畠山重忠公が城の鬼門除けに祀ったものといいます。

『津島神社(素戔嗚命)』
天明6年(1786)に当時の領主、猪子佐太夫が自分の崇敬する津島牛頭天王社の分霊を祀ったもの。元は市神として東側の路上に鎮座。明治時代に西側に移転しましたが、明治23年の大火で全焼し、同40年7月9日当社の境内に再建されました。
天明6年(1786)に当時の領主、猪子佐太夫が自分の崇敬する津島牛頭天王社の分霊を祀ったもの。元は市神として東側の路上に鎮座。明治時代に西側に移転しましたが、明治23年の大火で全焼し、同40年7月9日当社の境内に再建されました。

神楽殿

神輿庫

『天手長男神社』
お手長様と呼ばれ古くから火防の神として菅谷の人々から信仰されています。
お手長様と呼ばれ古くから火防の神として菅谷の人々から信仰されています。


菅谷神社から嵐山バイパスを越えた所にある『埼玉県立嵐山史跡の博物館』にも立ち寄りました。館内の展示拝観と菅谷館跡の散策ができます。家族連れが多かったです😊

現在の菅谷館跡は、畠山重忠公が居住していた鎌倉時代の館跡を改修・拡張して造られた戦国時代の城跡です。幟には関東管領上杉顕定居城とあります。

入館料は100円。この日は『東山道と鎌倉街道』という企画展が催されていました。拝観後、御城印とガイドブック等の資料を購入しました。
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく916投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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