おおがいじんじゃ
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楽しみ方大我井神社のお参りの記録一覧

本日最後の神社です。当初の目的地から随分離れてしまいました。が、ようやく熊谷。重要文化財が多くある妻沼聖天宮近くです。皆さん大聖天へ参詣していましたが、私はお寺は基本参詣しないので、誰もいないこちらへゆっくりと参拝。式内社白髭神社に比定される神社ですが、後に妻沼聖天宮が勧請され合祀されてしまいます。妻沼聖天宮に飲み込まれてしまいますが、明治になり分離され独立します。その頃に扶桑教に属する一山講の講元によって浅間神社が勧請されました。社務所はありますが普段は無人のようです。最近御朱印を始められたようで「冷やし中華始めました」みたいに「御朱印始めました」と神社入り口に貼り紙があります。しかし印刷のようで少々興ざめ!歴史深い神社ですのでもう少し案内板などがあっても良いのかなと個人的には思います。

昭和五十八年(1983)建立の宮崎利秀句碑「下駄ばきの 一教師たり 稲の花」

妻沼土地改良竣工之碑

昭和十七年(1942)藤原光俊歌碑「紅葉ちる太我井の杜の夕だすきまた目にかゝる山のはもなし」

由緒書

昭和二十二年(1947)奉納の鳥居


御神庫

門守神社

門守神社

参道

福石


大正十五年(1926)奉納の燈籠


手水舎

明治四十一年(1908)奉納の手水鉢


神門(明和七年(1770)、若宮八幡社の正門として建立)

消えかかっていますが、神門(唐門)の由来が書かれています

子来衛士墓誌之銘碑

拝殿

拝殿側面

扁額

本殿




社務所

熊谷市妻沼にある神社。無人神社ながら武州妻沼総鎮守。
元はすぐ傍の聖天宮に合祀されていましたが明治の神仏分離令によって現在の形になりました。神社としての歴史は聖天宮より古く日本武尊が豊作祈願で建てたことが始まりです。
社殿や山門は聖天宮の門の造営にも携わった大工さんが建てたこともありとても立派。社殿の隣の富士塚は摂社の富士浅間神社でここで行われる火祭りは有名だそうです。
書き置きの御朱印があり大我井神社の物と富士浅間神社の2種類があります。大我井神社の御朱印は日の丸のようなデザインです。日付は入っていないので帰宅後に筆ペンで書き入れしました。

鳥居

神門

社殿

境内

手水舎

御朱印頒布所

扁額

末社

末社

歌碑

妻沼土地改良竣工之碑

境内

由緒書

聖天宮前にある入口

駐車場

掲示板

歌碑

妻沼聖天前バス停

社務所

妻沼聖天参拝前に、道を挟んだところにある大我井神社へお参りしてきました。
境内が緑に囲まれていて、いいですね。
私の他には参拝されている方はいらっしゃいませんでしたが、蝉の鳴き声で賑やかでした。

拝殿

鳥居手前から伸びる参道、奥に小さく拝殿

手水舎、色づいた木々がいい雰囲気です


富士塚ですかね


富士塚の頂上から見た本殿、拝殿

妻沼聖天山の東側、徒歩数分の所にある神社。
創建は妻沼聖天より古く、聖天勧請後は歓喜院と一体だったそうですが、例によって神仏分離令で独立した神社に。
延喜式内社、白髪神社に比定される論社の一つとのこと。
このように由緒も正しく、ご覧のように神社自体もわりと立派なんですが惜しむらくは無人社。
お祭りの時だけ賑わうそうです。
もうちょっとアピールすれば聖天山と合わせて参拝する人も増えそうなんだけど・・・本当もったいない(´・ω・`)


月は東に 日は西に

与謝蕪村歌碑とカエル
やせがえる 負けるな・・・そりゃ小林一茶か

立派な社務所もあるんだけど・・・

柵に囲まれた石碑
この神社、興味深いものはいろいろあるけど、案内板とかがほとんどなく由来がわかりません(´・ω・)

神門もあり

拝殿


横の通用門にも鳥居が付いてる
この方向に妻沼聖天があります

富士塚
お祭りの時には花火が仕掛けられるらしい

この神社にも線刻画があります
僧形の人物が描かれてる
「神霊」の上が欠けてますが、おそらく普寛霊神みたいな御嶽・修験系のものかと

本殿もなかなか立派なもの

大我井神社と妻沼聖天の間には、懐かしい感じのプラモデル屋がありましたw
ちなみに近くには釣具専門店もあり、その筋の趣味の人には有名なのか結構混んでた
妻沼は、こういう今はほとんど姿を消してしまった個人専門店がまだ多数残るレトロな町です

【武蔵國 式内社巡り】
大我井神社(おおがい~)は、埼玉県熊谷市妻沼にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 播羅郡 白髪神社」の論社となっており、他の論社としては白髪神社(熊谷市)がある。『妻沼聖天宮縁起』によると、平安時代末期の1179年に武蔵国幡羅郡長井庄(熊谷市)を拠点とした武将・斎藤実盛が当地・大井の杜に妻沼聖天宮を勧請したが、もともと当地にあった白髪神社は衰退していたため、伊邪那岐命、伊邪那美命の2柱を妻沼聖天宮に合祀したという。明治維新の神仏分離令により、二柱を妻沼聖天宮から分離し、鎮座地に因んで「大我井神社」と改称、境内に浅間大神を勧請し、その後村社に列し、妻沼の総鎮守とされた。
当社は、JR高崎線・籠原駅の北東8kmの、利根川南岸、妻沼聖天山歓喜院の門前町の中にある。境内は通りに面していないため分かりにくいが、境内は広く、草木が少なめで、社殿までの道のりは果樹園か公園か、人の家の庭を歩いている感覚。社殿は大きく立派。往古の氏子の力強さを感じる。
今回は、武蔵国の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後で、自分以外には参拝者はいなかった。

境内南端入口の<鳥居>。社号標は見当たらない。

鳥居をくぐる。塀や柵などがなく開放的。

参道右側にある境内社。

参道左側にある境内社。

人様の私邸の広大な庭を歩いている感じ。気持ちが良い。(o^―^o)

参道左側の<社務所>。人が住んでいそうな雰囲気だが無人。

参拝時、ちょうどモミジが色づき始めていた。

参道左手の石碑群。

参道右側の簡素な<手水舎>。

参道を進むと<神門>がある。

<拝殿>全景。屋根も躯体も新しそう。

<拝殿>正面。社名を記したシンプルな扁額。

拝殿後ろの<本殿>。こちらも見た目新しい。

社殿左手にある古墳のようなもの。

本殿後方からの<社殿>全景。

拝殿の斜め前から<社殿>全景。

帰り道。歩いて気持ちの良い境内。

大通りから奥まった場所にあり、目立たないのはもったいないかも...(^▽^)/
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