むなかたじんじゃ
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宗像神社について
「寄居秋まつり」で知られる当社の秋季例大祭は、毎年11月第1日曜とその前日の土曜に行われます。
氏子各町より山車、笠鉾がお囃子にのり華やかに曳き回され、寄居市街が歩行者天国となり大変にぎわいます。
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埼玉県大里郡寄居町に鎮座する宗像神社の秋季例大祭こと『寄居秋まつり』に行ってきました。写真が多いので社殿と山車の2つに分けて投稿します🙇
宗像神社の例大祭は毎年春と秋に行われます。『寄居秋まつり』こと秋季例大祭は、11月第一日曜日とその前日の土曜日に行われ、氏子各町より山車、笠鉾がお囃子にのり華やかに曳きまわされ、寄居市街は歩行者天国となります。
山車祭りとしての歴史は古く、江戸、文政年間には神幸行列で現在行われているような、神輿の後に山車、笠鉾を曳く形が取られていた記録があります。
各部に施されたすぐれた彫刻や「一本柱型」といわれる古い構造が残る点など、寄居の歴史と文化を今に伝えています。
なお、春季例大祭は毎年4月3日に行われ、祭典のみで山車の渡御等は行われません。
(寄居町観光協会ホームページより抜粋)
※山車の写真は順番バラバラです🙇
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埼玉県大里郡寄居町に鎮座する宗像神社の秋季例大祭こと『寄居秋まつり』に行ってきました。写真が多いので社殿と山車の2つに分けて投稿します🙇
宗像神社の創建は大宝元年(701)11月。
当時、この地は毎年のように荒川の氾濫に苦しめられていたため、川を鎮め舟筏の交通を守護してくれるようにと、筑紫国宗像大社の分霊を奉斎しました。
すると、翌年の夏に未曾有の大洪水があり、その濁流が岩を削り、砂を洗い流し、荒川の流れを定めたため、以来この地では洪水に苦しめられることはなくなりました。住民はその神徳に感謝し、敬神の念を一層深めたといいます。
ところがその後、宗像神社の名は明治の神仏分離令まで史上に出てくることはありません。それに代わり登場するのが『聖天宮』です。
聖天宮は、現在、神社近くの極楽寺境内に祀られていて、詳しくはそちらの投稿に記そうと思います。
この聖天宮の繁栄の陰で、宗像神社がどのような状況下にあったのかは史料がなく定かではないそうです。
ただ、風土記稿には、聖天宮には「男体を祀る上社」と「女体を祀る下社」があり、下社は宗像神社に配祀されていたということだけはわかっているので、中世、近世と聖天宮下社として繁栄してきたことは確かのようです。
明治の神仏分離令が行われたのを機に、聖天宮と分離し、宗像神社の旧号に復し現在に至ります。
(参考)
埼玉の神社 大里・北葛飾・比企
境内・文化財
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宗像神社の情報
| 住所 | 埼玉県大里郡寄居町藤田229-2 |
|---|---|
| 行き方 | 寄居駅から徒歩17分 |
宗像神社の基本情報
| 名称 | 宗像神社 |
|---|---|
| 読み方 | むなかたじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 多記理比売命 狭依毘賣命 多岐津比賣命(宗像三女神) |
|---|---|
| 創建時代 | 大宝元年(701) |
| 文化財 | 旧市神様社殿(町指定文化財) |
| ご由緒 | 宗像神社は、奈良時代文武天皇の御代大宝元年(701年)に荒川の氾濫をしずめ、舟や筏の交通を護るために、九州筑前(福岡県宗像郡)の宗像大社の御分霊を移し祀ったものです。宗像大社は、文永弘安の役(蒙古襲来)など北九州の護りや海上の安全に神威を輝かしていました。この地に御分霊を移してからは、荒川の流れが定まり、人々の崇敬を篤くしました。
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