天台宗
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★鎌倉街道上道散策(嵐山町〜小川町)7
【散策ルート】
①東昌寺〜②平澤寺〜③志賀観音堂〜④杉山城跡〜⑤普光寺〜⑥輪禅寺〜⑦八和田神社〜⑧普賢寺〜⑨諏訪神社奉祀遺跡〜⑩馬頭観音(鎌倉街道説明板)
八和田神社から児玉往還に出て、住宅地へ入るとお寺が2つ、路地を挟んで在りました。
⑧普賢寺
普賢寺は小川町奈良梨にある天台宗の寺院で、多寶山正觀院と号します。創建年代等は不詳ながら、鈴木隼人佐重親が開基となり、亮光(了光)が中興開山、江南町須賀広にあった能満寺の釈迦三尊像の脇侍普賢菩薩を本尊として奉安したといいます。
徒歩で裏林に入って行くと、小さな祠があり、そこは奉祀遺跡で在りました。
⑨諏訪神社奉祀遺跡
天正18年(1590)の後北条氏の滅亡後、徳川家康は関東の支配体制の整備に着手しました。その中で家臣団の知行割が行われ、奈良梨は諏訪頼水の領地となりました。諏訪氏は奈良梨に入り、ここに旧領の諏訪(長野県)から諏訪社を勧請しました。この地は今でも「天王原」と呼ばれています。
諏訪社の跡地とされるこの場所には小さな石宮が建てられています。現在でも毎年10月の八和田神社の祭礼では、この地に神輿が渡御します。この祭りには、長い竹の先に取り付けた鎌を「カマカツギ」と呼ばれる子どもたちが持ち歩くという、この地域では見られない特徴があります。諏訪大社をはじめ長野県内の祭りでは「薙鎌」という特殊な鎌が使用されており、諏訪氏がもたらした祭礼の伝統がこの地に生き続けているのかもしれません。
奉祀遺跡から更に林を抜けると馬頭観音の板碑と鎌倉街道説明板がひっそり立っていました。
⑩馬頭観音(鎌倉街道説明板)
奈良梨鎌倉街道上道跡は、比企郡小川町奈良梨にある名所旧跡です。鎌倉幕府の成立後に整備された街道跡で、久米川から当地を経て藤岡へ向かう幹線道路跡です。馬頭観音石塔が奉安されている地に小川町教育委員会掲示が置かれ、馬頭観音石塔から普済寺方向へ直線状に街道が敷かれていたようです。また、戦国時代には宿駅が設置されていたといいます。
平成8年文化庁が選定した「歴史の道百選」に「24鎌倉街道ー上道 埼玉県小川町・寄居町・毛呂山」として選定されています。
⑧普賢寺 寺号標柱
⑧普賢寺 地蔵菩薩像
⑧普賢寺 石碑
⑧普賢寺 六地蔵像
⑧普賢寺 本堂
⑧普賢寺 本堂
⑨諏訪神社奉祀遺跡 道標
⑨諏訪神社奉祀遺跡 奉祀跡
⑨諏訪神社奉祀遺跡 奉祀跡
⑨諏訪神社奉祀遺跡 奉祀遺跡説明板
⑩馬頭観音と鎌倉街道説明板
⑩馬頭観音 鎌倉街道説明板
名称 | 普賢寺 |
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電話番号 | 0486-66-6567 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 天台宗 |
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