みやどじんじゃ
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楽しみ方宮戸神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年11月18日(火) 12時42分51秒
参拝:2025年11月吉日
朝霞五社巡り
今回の五社巡りの神社の本務社にあたります。実際は天明稲荷神社に宮司様宅があるので、形式的なものではないでしょうか?古くはは熊野権現として信仰されていましたが、一番最初に参拝した田島神明神社と同様に、明治の合祀政策により浜崎氷川神社に合祀されていたものを戦後に復した神社です。その過程で天津神社を遷座させ、合祀された宗岡の稲荷神社、高麗方神社(駒形神社)の御祭神は元の熊野神社の御祭神に加わっています。明治期には専任の神職が居らず、大正期に遥拝所(現宮戸神社)脇の建具職人高橋家の次男がお祓いをしていたそうです。現在の天明稲荷神社の社守としてこの後この方が分家し鎮守熊野神社と天明稲荷神社の再興に力を注いだそうです。現在の宮司様のご先祖です。今回調べていたらこの辺りに最初に移り棲んでいたのが6人の武者でそのうち残るのが2家の高橋家だそうです。おそらくその末裔が現在の宮司様なのだろうと勝手に思い込んでいます。
社殿周りには境内社が多く、ここにきて「ザ!神社」に参拝した気分になりました。
今回の五社巡りの神社の本務社にあたります。実際は天明稲荷神社に宮司様宅があるので、形式的なものではないでしょうか?古くはは熊野権現として信仰されていましたが、一番最初に参拝した田島神明神社と同様に、明治の合祀政策により浜崎氷川神社に合祀されていたものを戦後に復した神社です。その過程で天津神社を遷座させ、合祀された宗岡の稲荷神社、高麗方神社(駒形神社)の御祭神は元の熊野神社の御祭神に加わっています。明治期には専任の神職が居らず、大正期に遥拝所(現宮戸神社)脇の建具職人高橋家の次男がお祓いをしていたそうです。現在の天明稲荷神社の社守としてこの後この方が分家し鎮守熊野神社と天明稲荷神社の再興に力を注いだそうです。現在の宮司様のご先祖です。今回調べていたらこの辺りに最初に移り棲んでいたのが6人の武者でそのうち残るのが2家の高橋家だそうです。おそらくその末裔が現在の宮司様なのだろうと勝手に思い込んでいます。
社殿周りには境内社が多く、ここにきて「ザ!神社」に参拝した気分になりました。

社号標

文久辛酉年(文久元年、1861)建立、平成十二年(2000)再建の一の鳥居



石段

文久元年(1861)奉納の二の鳥居


由緒書

天保十三年(1842)奉納の燈籠 石尊大権現と刻まれています


玉垣石段造営記念碑

昭和八年(1933)奉納の狛犬



手水舎

明治四十五年(1912)奉納の手水鉢


厄割石

力石


神楽殿

御神木

昭和十三年(1938)奉納の燈籠


昭和五十二年(1977)奉納の狛犬




昭和十六年(1941)建立の拝殿

扁額

昭和四十八年(1973)建立の幣殿

昭和四十八年(1973)建立の本殿


本殿背面

境内社 神明神社

境内社 御嶽神社

境内社 日王子神社

境内社 白山神社

境内社 天満宮(嘉永三庚戌年、1850)))))


境内社 水神社(寛政四年(1792))

境内社 弁天神社

境内社 護国神社


境内社 稲荷神社(左から二つ目から安政五年(1858)、明治十三年(1880)昭和七年(1932))

安永四年(1775)建立の稲荷社

稲荷神社(弘化三丙年、1846)


境内社 新田組稲荷神社 宮戸地区は3つの組に分かれており、それぞれの組に鎮座していた稲荷神社です

境内社 宿組稲荷神社

境内社 久保組稲荷神社
すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2317投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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