霞野神社のお参りの記録一覧
鎌倉街道散策(武蔵高萩)2
【散策ルート】
①鎌倉街道石碑〜②駒形神社〜③霞野神社〜④女影ヶ原古戦場跡〜⑤女影薬師堂〜⑥境橋〜武蔵高萩駅
駒形神社までと同様にグーグル頼りの平坦な山道?。
③霞野神社
日高市女影にある村社の神社。当初は諏訪神社と称し、女影村社であったが、明治43年に女影村社の白髭神社、中沢村社の白髭神社など12社を合祀して霞野神社と改めました。
祭神は猿田彦命、軻遇突知命、建御名方命など14身を祀っている。
本殿は江戸時代末の作と云われている。
④女影ヶ原古戦場跡
霞野神社境内には女影ヶ原古戦場碑とその説明版がある。女影ヶ原の合戦の跡地で、中先代の乱の史跡である。
【女影ヶ原の戦い(1335年)】
鎌倉幕府滅亡後、信濃に匿われていた最後の執権・北条高時の遺児・時行が1335年に挙兵しました。甲斐などを制圧した時行軍は上野から鎌倉街道を南下して鎌倉を目指します。新田義貞が鎌倉を攻め落とした時と同じ経路で兵を進めた。
これを迎え討つ為、鎌倉の足利直義は渋川義季、岩松経家らの軍勢を派遣。両軍はここ女影ヶ原で激突しました。時行軍はこれを討ち、小手指原、町田市の井出沢と勝ち進み、ついに鎌倉を一時占領したが、直ぐに尊氏に奪還された。(中先代の乱)
⑤女影薬師堂
武蔵高萩の鎌倉街道沿いに薬師如来の像を安置してある堂がある。
薬師堂の前には板碑と石橋供養塔が立っている。江戸時代には洪水などの時に人命や村の存続を守り、永久に破損することなく安全を願って、石橋には付随して石橋供養塔が建てられた。
しかし、この近くには川はありません。この石橋供養塔は境橋から移設されたものと思われる。
そのまま踏切を越えて歩く事15分。
⑥境橋
県道15号川越日高線の女影交差点から
北西へ800m、旧鎌倉街道が北小畔川を跨ぐ地点に架かる橋。
この道は雑木林の中を適度に曲がりながら、旭ヶ丘地区(高萩飛行場跡地)へと抜ける。かつての鎌倉街道上道であり、随所に切り通し跡が残る、風情のある道である。境橋の名は架橋地点が高萩(旧.高萩村)と鹿山・下鹿山(旧.高麗川村)の境であることに由来する。
JR武蔵高萩駅に到着。
③霞野神社 鳥居
③霞野神社 標柱
③霞野神社 鳥居
③霞野神社 参道
③霞野神社 参道
③霞野神社 拝殿
③霞野神社 拝殿
③霞野神社 案内板
③霞野神社 境内社
③霞野神社 境内
④女影ヶ原古戦場跡 石碑
④女影ヶ原古戦場跡 風景
⑤女影薬師堂 薬師堂
⑤女影薬師堂 石橋供養塔と板碑
⑤女影薬師堂 石橋供養塔
⑤女影薬師堂 観音菩薩石碑
⑤女影薬師堂 境内
⑥境橋 鎌倉街道上道
⑥境橋 北小畔川と境橋
⑥境橋 鎌倉街道上道と北小畔川と境橋
⑥境橋 風景
JR武蔵高萩駅
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