みはしらじんじゃ
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三柱神社ではいただけません
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三柱神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月13日(火)
参拝:2024年8月吉日
三柱神社は、入間の地名伝説にその名が登場する神社になります。現在、神社はだいぶ寂れてしまい境内も縮小されてしまっていて、賽銭泥棒の被害にもあっており管理はされているものの少し危うい感じがします😭
ご祭神は造化三神で、延享年間に加藤清正公の末裔が来住して荒神様を合祀しています。
この地名伝説が大変興味深かったので自分のメモとして残したいと思います。
入間の地名伝説の詳細は狭山市のHPに簡潔にまとめてあるので引用させていただきました。
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狭山市周辺には「いるま」という地名が何か所かあります。「入間川」や「入間」広くは「入間郡」があります。この「いるま」という地名にはこんな伝説があります。
昔、突然天空に太陽が二つのぼり、昼となく夜となく照らし続けたそうです。そのため草木は枯れ、田畑の作物が取れなくなり、人々は困っておりました。これには天子(人々を治める者)さまも心配しまして
「天に二つの太陽があるはずがない。どちらか一つが魔ものに違いない。だれかこの矢で退治してまいれ!」さっそく都でも名うての弓矢の名人が選ばれ、太陽を追って武蔵の国までやってきました。
ちょうど見晴らしのよい入間川の小高い丘(祇園の三柱神社あたり)から、あやしいと思う太陽をねらい、天子さまから賜った矢で射ました。みごと矢は魔物の太陽に命中しまして、たちまち光を失い、黒い雲とともに三本足のカラスとなって落ちてきました。
そのとき魔物が落ちたところを「天倒山てんどうさん」(天倒=天道は太陽のこと。山ともいって入間川東小の校庭のあたり)、魔物の血で川となったところを「逆川さかさがわ」、太陽を討ったことから「日討にっとう」(川越市日東)、魔物を祀ったところを「日祭にっさい」(坂戸市入西)、また「日落射(ひらい)大明神」(毛呂山町の飛来大明神)と呼ばれるところもあります。それに魔物を射た矢が落ちたところは「矢颪やおろし」(飯能市)という地名で残っています。
こうして無事、魔物を矢で射留めたことから、このあたり一帯を「射留魔いるま」(入間)と呼ぶようになったというお話です。
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少し補足すると、
※逆川は付近の入間川や赤間川と流れが逆方向だったことが名前の由来。
※飛来大明神は毛呂山の出雲伊波比神社に祀られていて、息長帯比売命(神功皇后)のことだとされている。
お話をみてわかる通り、ここ三柱神社の境内で弓を射たことがわかります。
そして、かなり広範囲の地域の地名由来に影響しています。なぜ埼玉南西部が入間郡と呼ばれるのか、なぜ入間市以外のあちこちで「いるま」という名が使われるのか、ずっと不思議だったけど理解できた気がしました。
そして、この地名伝説は関東を中心に行われる「御日射(おびしゃ)神事」の起源ともされる『射日(しゃじつ)神話』のひとつになります。
御日射(おびしゃ)とは、太陽に見立てた的を弓で射てその年の豊作を祈願する年頭に行われる弓神事です。的には太陽の精霊であるカラスが描かれたり、「鬼」の文字を書く地域もあるそうです。
世界の神話では、この複数の太陽を射落とす射日神話と、新たな太陽の出現を表す『招日(しょうじつ)神話』が対になっていて、セットで語られるのが常なのだそうです。
日本では記紀で有名な「天岩戸開き」が招日神話に当たりますが、射日神話はあまり知られていません。
太陽は王の象徴ともいわれます。
おそらく当時の政権にとって、射日神話は都合の悪いものだったのではないでしょうか?とすると、この射落とされた太陽の存在を隠したかったのでは?
王が乱立していたことを暗喩しているとか、他の氏族が祀っていた太陽神を消していったとかも考えられそうです。
ちなみにこの地名伝説は、「まんが日本昔ばなし」で「三本足のからす」という題名で放送されていたようです。
ご祭神は造化三神で、延享年間に加藤清正公の末裔が来住して荒神様を合祀しています。
この地名伝説が大変興味深かったので自分のメモとして残したいと思います。
入間の地名伝説の詳細は狭山市のHPに簡潔にまとめてあるので引用させていただきました。
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狭山市周辺には「いるま」という地名が何か所かあります。「入間川」や「入間」広くは「入間郡」があります。この「いるま」という地名にはこんな伝説があります。
昔、突然天空に太陽が二つのぼり、昼となく夜となく照らし続けたそうです。そのため草木は枯れ、田畑の作物が取れなくなり、人々は困っておりました。これには天子(人々を治める者)さまも心配しまして
「天に二つの太陽があるはずがない。どちらか一つが魔ものに違いない。だれかこの矢で退治してまいれ!」さっそく都でも名うての弓矢の名人が選ばれ、太陽を追って武蔵の国までやってきました。
ちょうど見晴らしのよい入間川の小高い丘(祇園の三柱神社あたり)から、あやしいと思う太陽をねらい、天子さまから賜った矢で射ました。みごと矢は魔物の太陽に命中しまして、たちまち光を失い、黒い雲とともに三本足のカラスとなって落ちてきました。
そのとき魔物が落ちたところを「天倒山てんどうさん」(天倒=天道は太陽のこと。山ともいって入間川東小の校庭のあたり)、魔物の血で川となったところを「逆川さかさがわ」、太陽を討ったことから「日討にっとう」(川越市日東)、魔物を祀ったところを「日祭にっさい」(坂戸市入西)、また「日落射(ひらい)大明神」(毛呂山町の飛来大明神)と呼ばれるところもあります。それに魔物を射た矢が落ちたところは「矢颪やおろし」(飯能市)という地名で残っています。
こうして無事、魔物を矢で射留めたことから、このあたり一帯を「射留魔いるま」(入間)と呼ぶようになったというお話です。
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少し補足すると、
※逆川は付近の入間川や赤間川と流れが逆方向だったことが名前の由来。
※飛来大明神は毛呂山の出雲伊波比神社に祀られていて、息長帯比売命(神功皇后)のことだとされている。
お話をみてわかる通り、ここ三柱神社の境内で弓を射たことがわかります。
そして、かなり広範囲の地域の地名由来に影響しています。なぜ埼玉南西部が入間郡と呼ばれるのか、なぜ入間市以外のあちこちで「いるま」という名が使われるのか、ずっと不思議だったけど理解できた気がしました。
そして、この地名伝説は関東を中心に行われる「御日射(おびしゃ)神事」の起源ともされる『射日(しゃじつ)神話』のひとつになります。
御日射(おびしゃ)とは、太陽に見立てた的を弓で射てその年の豊作を祈願する年頭に行われる弓神事です。的には太陽の精霊であるカラスが描かれたり、「鬼」の文字を書く地域もあるそうです。
世界の神話では、この複数の太陽を射落とす射日神話と、新たな太陽の出現を表す『招日(しょうじつ)神話』が対になっていて、セットで語られるのが常なのだそうです。
日本では記紀で有名な「天岩戸開き」が招日神話に当たりますが、射日神話はあまり知られていません。
太陽は王の象徴ともいわれます。
おそらく当時の政権にとって、射日神話は都合の悪いものだったのではないでしょうか?とすると、この射落とされた太陽の存在を隠したかったのでは?
王が乱立していたことを暗喩しているとか、他の氏族が祀っていた太陽神を消していったとかも考えられそうです。
ちなみにこの地名伝説は、「まんが日本昔ばなし」で「三本足のからす」という題名で放送されていたようです。
扁額
本殿
綺麗に管理されていました。
綺麗に管理されていました。
賽銭泥棒に困っているようです。
お賽銭が泥棒の追い銭になるので拝礼だけで十分ですとの旨が書かれていました。
お賽銭が泥棒の追い銭になるので拝礼だけで十分ですとの旨が書かれていました。
石が並べられ土が盛り上がっていました。塚なのかな?
御神木だったのでしょうか?
すてき
投稿者のプロフィール
ひなぎく490投稿
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