いるまがわおおくにじんじゃ
入間川大国神社のお参りの記録一覧
この日は1年の実りを願う小正月に大黒様のご利益をいただく、小正月祈願祭が行われていました。令和7年の恵方にあたる庚(西)に飾る「削り花」を撤下されるとのことで、鳥居や拝殿にも削り花が飾られていました。
削り花とは、秩父地方の小正月に蚕の神様に供え飾るもので、木を削って花のように垂らしたものです。
冬至の日に祈願祭のお話を聞いていたので、この日に初詣に行こうと決めていました😊当初は大國様でゆっくりしようと思っていたのですが、日蓮聖人像に呼ばれた日に、もう1つ狭山に行く目的ができたので、今回は新年のご挨拶をさせていただいて神社をあとにしました。
鳥居に削り花が飾られています。
この長い削り花は初めて見ました👀
中心に小さな大黒様がいらっしゃいます😊
冬至星祭りに奉納される大黒様の「福神舞」を拝見しに上がりました。
神社に着いたらちょうど奥様がいらっしゃって、舞が始まるまでの間寒いからと本殿に上げていただきました。その際に先月秩父に行って、おすすめいただいた寺社を巡ってきたことを話しました。
この日は、伊豆諸島の利島にご鎮座される「阿豆佐和氣命神社」の禰宜様がお手伝いに来ていらっしゃいました。禰宜様は秩父市のご出身で秩父警察署近くの「上宮地稲荷神社」にも奉仕されているとのこと。(普段は秩父にいるそうです)
知ってる?と聞かれ、え!参拝しましたよ😲って写真見せたらとても喜んで下さって、上宮地町のお話に始まり利島村のことまで色々ご教授して下さいました。
今日こうしてお話できたのは、稲荷様が御縁を繋いでくださったからだと、名刺までいただいてしまいめちゃくちゃ嬉しかったです😭こんなことあるんですね!
舞が終わったあとは、見に来ていた方々と一緒に宮司様に質問したりお話を聞いたりして、ホトカミオフ会みたいで楽しかったです!帰り際にたくさんの柚子と立派なネギをいただきました。あらためて、大國様は秩父神社との繋がりが深いことを実感しました。
『星祭りとは人々が生まれながらの運勢の星と夜空に輝く希望の星に願いを込めて、来る年の除災招福を祈るおまつりです。冬至は、闇夜が長い時間を支配することから暗闇に紛れ「もののけ」「付喪神」たちが列をなして人間世界に災いを及ぼしにやって来ると伝わっています。
当社に古から伝わる百鬼夜行の付喪神たちを追い祓う大黒様の篇額が殿内に奉納され、人々の生活の中に息づいた民俗信仰が今も伝えられています。お囃子と鈴の音にあわせて「福豆」を参拝の人々に分かち、豊かな暮らしをお祈りいたします。』
北斗七星の先端にあたる剣のついた星は「破軍星」といいます。軍を破る星と書き、この星を背にすると必ず戦に勝つと信じられ、これが妙見菩薩様が軍神として信仰される由縁です。
また、北斗七星は春分の日に東の空に昇っていき、秋分の日に西の空に降りてきます。
その姿は昇龍と降龍の"龍"として表されます。秩父神社でつなぎの龍だけがつながれているのは、東の龍は天に昇っていってしまうからです。
左奥に秩父錦から暖簾分けされた今はなき「久星酒造」の徳利。中央には栗原霞崖のおたふくの絵がチラッと見えます。
かわいい🥰
栗原霞崖の絵がたくさん飾られていました。栗原霞崖は大國神社の世話人だった狭山市出身の日本画家の方です。
暗闇で光る御守です。秩父神社の妙見守と同じ仕様です😊
大黒様と恵比寿様。御朱印に印刷されている絵になります。
暦や六曜の話を色々聞いたのですが「貞享年間、太陰太陽暦」これしかメモとってなかった😭
「福神舞」
お囃子にあわせて鈴を鳴らしながら殿内を周回し、中央にきたら福豆をまきます。
福神舞は平成6年(1994)から奉納されていて、当初は秩父神社の神楽師のお爺ちゃんが来て舞っていたそうです。その後、ご高齢で舞えなくなったので宮司様が習得して現在舞っているとのこと。
秩父神社の神楽師と聞いて、柞祖霊社境内に神楽師の方のお墓があったことを思い出しました。このお爺ちゃんはその方から伝授されていたりするのかなぁ?聞きそびれました。
百鬼夜行の篇額。原画(原板?)を見せていただきました。撮影許可いただいています。明治初期くらいに描かれたもので、たまたま日の光が当たりにくいところに飾られていたため、これだけ色が残っているとのことです。
これは百鬼夜行の最後尾で大黒様が小槌で付喪神達を祓ってくれているところです。
宝船の帆に「獏」の文字
参拝にあがったら宮司様と奥様がいらっしゃって、お時間も大丈夫とのことだったので色々お話を聞かせていただきました✨
普段は東松山市の箭弓稲荷神社にご奉仕されているのでいないことの方が多いそうです。この日は私が到着する少し前にご祈祷があって、たまたまいらっしゃったそうです。
一部ですが、皆様と共有できればと思います。
【ご由緒について】
ここはもともと旅館を経営していたとのことです。屋号は甲子。店主は甲田佐右衛門。
佐右衛門さんは今でいう霊感のような、視たり当てたりする力があるすごい方だったそうです。ある時、夢枕に大黒様が立ち『苦しい…苦しい…私をすくい上げなさい』といわれたそうです。
当時、現在の駐車場辺りは小高い山と窪地で池があったそうで、その池の中を掘ると小さな大黒様の御神像が出てきたそうです。
それが神社の御神体として現在も祀られているとのことでした。
そして狭山市に来ていた神祇伯白川資訓様にスカウトされ神社を創建したとのことです。江戸末期、慶応の頃のことだそうです。
【御朱印の絵】
大國神社の御朱印には絵が描かれているのですが、これは狭山市出身の日本画家、栗原霞崖(くりはらかがい1861-1939)の絵で、この栗原さんは大國神社の世話人だったとのことです。
神社に保管されている画集を見せていただきました🙏
【削り花】
宮司様は以前秩父神社にもご奉仕されていたそうです。
秩父地方の小正月に蚕の神様に供え飾るもので、「削り花」と呼ばれる木を削って花のように垂らしたものがあります。
昔、紙が普及するまで幣(ぬさ)として使われていたとされるもので、大國神社の本殿にたくさん飾られていたのですが、なんと、それを1ついただきました😲💦
削り花はアイヌの人たちが使っていた神具「イナウ」がもとになっているとの説もあるそうで、秩父や寄居町近辺にはアイヌ語と思われる地名が残っていることから、アイヌとの繋がりが見え隠れするともお話されていました。
他にも貴重なお話や、資料・古書なども見せていただき大変勉強になりました。
感謝しかありません😭宮司様、奥様、本当にありがとうございました🙇
「埼玉の狛犬」という本に載っていて、狛犬を見に神社に来る方もいるそうです。
以前御朱印を入れてもらった封筒に押されていたスタンプについても教えていただきました。上が北斗七星。下とマス目は九星気学に関するもので星の動きを表したものだそうです。
「削り花」
70センチくらいあります。こんな写真でゴメンナサイ😭神社で撮らせてもらえばよった💦袋から出したばかりでシュッとしてますが、少しほぐすと幣みたいにフワッとなります。
イナウで検索するとわかりやすい写真がたくさん出てきます💦
1つの木からこんなに!すごい技術だなぁ
江戸時代末頃、甲田家先祖佐右衛門が信州木曽の霊岳「御嶽山」により創立し、明治15年御嶽教と称し、一教会として独立を許可されました。
その後、明治24年4月4日に御嶽教管長鴻雪爪殿より布教許可を、同時に御嶽大神奉斎主神に神霊を賜りました。
なお、慶応2年(1868)3月15日には、神祗官子爵従二位白川資訓すけのり殿より神道職を拝名しました。(狭山市広報より)
通りには「大国通り」の文字があった。
神職さんの家も隣であり、御朱印もあるのだが、不在の為、頂けなかった。
ちなみに、賽銭箱は本殿の中にあり、鍵がかかっていて、お賽銭も入れる事が出来なかった。
多分、賽銭泥棒対策なのだろう。なんだか、悲しくなるのであった。
狭山市駅より徒歩12分程。住宅街の中にある静かな神社です。
2年ぶりにご挨拶に上がりました。
参拝してふと顔を上げたら、拝殿のガラス戸に御朱印ありますの貼り紙が!
((え?え!?いつから始めたの?絶対いただきたい!))という勢いで社務所に向かいました。
というのも、こちらの大國さまは自分の名前を授かった神社であり、祖父母の代からお世話になっている私にとっては特別な神社になります。
幸いにも宮司様がいらっしゃって、御朱印いただけました!その際に少しお話をしたら、なんと自分のことを覚えていて下さいました😭最後にご祈祷受けてからもう十何年も経ってるのに嬉しすぎます😭
本殿にも上がって参拝していってと仰ってくださり、最後には御供物のお下がりまでいただき、あまりの嬉しさにたくさん歩いた足の疲れも全部吹っ飛びました。
昔話や御朱印の話に盛り上がって、肝心の詳しいご由緒を聞き忘れましたが、また近々伺おうと思うのでそれはその時にします。年末のお祭りにも参加してみようと思いました。
御朱印の裏には、疫病除けの霊符が書かれています。
御朱印を入れていただいた封筒に書かれていました。年末の星祭りに由来していたりするのかな?陰陽道とかも関わり深そうな。この辺の詳細も次回聞いてみようと思います。
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