しみずはちまんぐう
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楽しみ方清水八幡宮のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年02月02日(日) 13時09分58秒
参拝:2025年1月吉日
清水八幡宮は木曽義仲の嫡男、木曽義高を祭神とする神社になります。頼朝の追っ手に首をはねられ、その場に残された体を入間川の里人が埋葬し祀りました。義高の墓が「清水八幡宮」と呼ばれるようになったのは、北条政子が義高の死を哀れみ社殿を造営したことにはじまるといいます。
先に投稿した影隠地蔵や5月に入間川で行なわれる"義高の鯉のぼり"など、狭山では義高終焉の地として今なお供養が行なわれています。狭山生まれの私にとってはそれが普通のことでした。
ところが、年始に「木曽義高生存説」をくしさんの投稿で知りました。
入間河原で討たれたのは身代りで、義高は下野国へ逃げ延びたというもです。
佐野市田沼町付近に残る伝承では、義高は佐野基綱のもとにかくまわれ、基綱の一字をもらい「岩崎義基(よしたか)」と名乗り、岩崎や吉水に住んだといいます。頼朝死去後、北条政子の計らいで和睦が成立すると再度家名を佐野越前守義基と改め、幕府の御家人として仕えたいいます。
晩年館を構えたとされる"山形御所ノ入"には義高の墓と伝えられる石塔もあります。
この日狭山に来たもう1つの目的は木曽義高ゆかりの地を詣でることでした。
冬至にはこの日に狭山を巡ることを決めていて、さらに天満宮の件で1月末に栃木県佐野市へ行くことも決めていました。しかも、佐野市の中でも田沼町を巡ることを予定していました。
タイミングといい場所といい、これは狭山で義高公に挨拶してから佐野に行きなさいと言われているようにしか思えなかったのです🙏
義高が実は落ち延びていた…!真偽はさておき、生存説があることを知った時とても嬉しかったです😊佐野に行く楽しみが増えたのは言うまでもありません。
先に投稿した影隠地蔵や5月に入間川で行なわれる"義高の鯉のぼり"など、狭山では義高終焉の地として今なお供養が行なわれています。狭山生まれの私にとってはそれが普通のことでした。
ところが、年始に「木曽義高生存説」をくしさんの投稿で知りました。
入間河原で討たれたのは身代りで、義高は下野国へ逃げ延びたというもです。
佐野市田沼町付近に残る伝承では、義高は佐野基綱のもとにかくまわれ、基綱の一字をもらい「岩崎義基(よしたか)」と名乗り、岩崎や吉水に住んだといいます。頼朝死去後、北条政子の計らいで和睦が成立すると再度家名を佐野越前守義基と改め、幕府の御家人として仕えたいいます。
晩年館を構えたとされる"山形御所ノ入"には義高の墓と伝えられる石塔もあります。
この日狭山に来たもう1つの目的は木曽義高ゆかりの地を詣でることでした。
冬至にはこの日に狭山を巡ることを決めていて、さらに天満宮の件で1月末に栃木県佐野市へ行くことも決めていました。しかも、佐野市の中でも田沼町を巡ることを予定していました。
タイミングといい場所といい、これは狭山で義高公に挨拶してから佐野に行きなさいと言われているようにしか思えなかったのです🙏
義高が実は落ち延びていた…!真偽はさておき、生存説があることを知った時とても嬉しかったです😊佐野に行く楽しみが増えたのは言うまでもありません。


拝殿

本殿




この手前に駐車場が3台分あるのですが、この日はあきらかに参拝とは関係ない車が止まっていました😓


裏にはでかでかと系図が。


新富士見橋から見た入間川

写真では伝わらないかもですが、この日は富士山がとても綺麗に見えました🗻✨
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく812投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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