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しみずはちまんぐう

清水八幡宮のお参りの記録(1回目)
埼玉県狭山市駅

投稿日:2024年08月12日(月)
参拝:2024年8月吉日
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国道16号線沿いの旧八丁の渡し跡に鎮座していて、八幡宮とありますがご祭神は源義仲(木曽義仲)の嫡男「源義高」になります。

義高は、頼朝の娘・大姫の婿という名目で人質として鎌倉に送られました。

父義仲が頼朝と対立し討たれたことにより、復讐を恐れた頼朝に謀殺の危機にさらされ鎌倉を脱出しました。

祖父の館や父を助けた畠山重能の館がある現在の嵐山町を目指しましたが、入間河原で追手に討ち果たされました。


義高の首は頼朝のもとへ運ばれましたが、体はその場に残されたため、入間川の里人が当地に埋葬し祀ったといいます。

義高の死を哀れんだ北条政子は、その後墓所を転じて神社とし、清水八幡として崇めました。朱色の玉垣が光彩をそえるほど立派だったといいます。

ところが、応永9年(1402)8月、暴風雨のため入間川が大洪水となり、社殿は押し流されてしまいました。これを悲しんだ郷民は事の由来を刻んだ石祠を造立し祭祀を続けたといいます。

それから八百余年近く経た現在も、この石祠を御神体とし祀られています。


宮司様が仰るに当時の入間川は今のように整備などがされておらず、渡ることは容易なことではなく、それで追手に追いつかれてしまったのだろうとのことでした。ましてや12歳の少年だったとは😢


『世間には武人を始め、高名な人を神社に祀る例は多いけれど、義仲の嫡男で頼朝の娘婿といいながら、わずか12歳でこの世を去った少年で、時の政権の保護を受けたこともない、名もなき若武者の祭祀が八百余年も連綿と続いている』

これは狭山市史に載っている言葉ですが、私もこの行為に少しでも慰められればと思いました。
清水八幡宮(埼玉県)
清水八幡宮(埼玉県)
清水八幡宮(埼玉県)
清水八幡宮(埼玉県)
清水八幡宮(埼玉県)
清水八幡宮(埼玉県)

すてき

みんなのコメント2件)

往時の骨肉の権力争いは、今生のものには、なかなか理解できない面が多いですよね。
ご祭神としてふさわしいか否かはさておき、由縁話を信じ、そして大切にして現代までお祀りしてくださっている氏子さま・住民のみなさまの心もちが素晴らしい~怨霊を鎮める、という面があるにしても。
われらはそのような話に、ただただ頭を垂れるだけですよね。
こういうお社は、ワタクシ、大好きですね~スミマセン、大好き、ということば遣い、ちょっとふさわしくない!

2024年08月12日(月)

>真魚さん

コメントありがとうございます!
私の前に若い男性がお参りしていましたし、以前16号を車で走った時も参拝している方々を何度か見かけました。
住民や氏子さんの心もち本当に素晴らしいですよね😊きっとこれからも続いていくのだと思います。

2024年08月12日(月)
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