ひがしみつぎやくしどう
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楽しみ方東三ツ木薬師堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月19日(月) 17時37分21秒
参拝:2026年1月吉日
新狭山駅から徒歩4分ほどにある天岑寺持ちの薬師堂です。ご本尊の薬師如来は『東方薬師』や『東方の薬さま』と称され、東三ツ木村の開祖・三ツ木和泉守国重の守護仏であると伝えられています。
目の病気にご利益があるといわれ、毎年8月と10月の縁日にはたいそう栄え「め」の字を書いた絵馬がたくさん奉納してあったといいます。本尊以外の仏像として、日光・月光両脇侍菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、十二神将、帝釈天、梵天があります。
東三ツ木村開祖・三ツ木和泉守国重は、武蔵七党のひとつ村山党に属する武将・金子十郎家忠の子孫です。
新田義貞が入間川を通過し鎌倉を攻め入った時、国重は執権北条高時について戦いましたが、敗れた(没落)ので故郷の金子領三ツ木村(現入間市西三ツ木)に帰り、姓を金子から三ツ木に改め、その後当地にやってきて土地を開墾し「三ツ木村」と名付けました。
三ツ木村に隣接する沢村や青柳村は、国重の子孫が分家して土地を開墾したと伝えられています。
また、明治の郡区町村編制法により、入間市の三ツ木村を西三ツ木、狭山市の三ツ木村を東三ツ木と改め、現在の地名として残っています。
目の病気にご利益があるといわれ、毎年8月と10月の縁日にはたいそう栄え「め」の字を書いた絵馬がたくさん奉納してあったといいます。本尊以外の仏像として、日光・月光両脇侍菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、十二神将、帝釈天、梵天があります。
東三ツ木村開祖・三ツ木和泉守国重は、武蔵七党のひとつ村山党に属する武将・金子十郎家忠の子孫です。
新田義貞が入間川を通過し鎌倉を攻め入った時、国重は執権北条高時について戦いましたが、敗れた(没落)ので故郷の金子領三ツ木村(現入間市西三ツ木)に帰り、姓を金子から三ツ木に改め、その後当地にやってきて土地を開墾し「三ツ木村」と名付けました。
三ツ木村に隣接する沢村や青柳村は、国重の子孫が分家して土地を開墾したと伝えられています。
また、明治の郡区町村編制法により、入間市の三ツ木村を西三ツ木、狭山市の三ツ木村を東三ツ木と改め、現在の地名として残っています。



狭山市史を見ていたら、この鰐口の表銘文に入間川大國神社の宮司様のご先祖様か一族の方と思われるお名前を見つけました!😲神社創建より約150年くらい前でしょうか?もちろん宮司様にお伝えしました😊




馬頭観音菩薩

こちらは読み取れず。


すてき
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ひなぎく874投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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