しらひげじんじゃ
白鬚神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》清寧天皇、武内宿禰、猿田彦命 | |
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創建時代 | 仁安3年(1168) | |
創始者 | 金子十郎家忠 | |
ご由緒 | 白髭神社の由緒記によると、桓武天皇八代の子孫武蔵守左近中将平行長が応和2年村上天皇の命によって、武士の棟梁としてまた地方の役人として関東に下り、武州金子郷に館を築き金子の姓を名乗った。その後保延4年金子十郎家忠が生まれ、19才のとき崇徳天皇の招きにより保元の乱に出陣、敵の大将鎮西八郎為朝の部下で鬼神といわれた、高間三郎四郎の兄弟を討ちとって勇名を天下に轟かせた。
なお社宝の懸仏は、家忠14代の子孫金子越中守家定が滝山城の北条氏照と対陣したとき戦勝を祈って奉納したものと伝えられている。唐銅製円経9寸1分の器物で彫刻の文に元亀3年壬申9月金子越中守家定とあり、元亀年間に金子家は再建されたという伝えがある。 慶安2年8月24日先判の例により朱印高十石寄附されたことから、後代々の将軍家より同額の朱印を賜った。明治5年村社に列せられた。大正3年神饌幣帛供進指定村社に列せられた。昭和23年宗教法人として境内地譲与される。(入間神社誌より) |
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