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しらひげじんじゃ

白鬚神社の御由緒・歴史
埼玉県 金子駅

ご祭神《主》清寧天皇、武内宿禰、猿田彦命
創建時代仁安3年(1168)
創始者金子十郎家忠
ご由緒

白髭神社の由緒記によると、桓武天皇八代の子孫武蔵守左近中将平行長が応和2年村上天皇の命によって、武士の棟梁としてまた地方の役人として関東に下り、武州金子郷に館を築き金子の姓を名乗った。その後保延4年金子十郎家忠が生まれ、19才のとき崇徳天皇の招きにより保元の乱に出陣、敵の大将鎮西八郎為朝の部下で鬼神といわれた、高間三郎四郎の兄弟を討ちとって勇名を天下に轟かせた。
平治の乱に源氏は大敗し家忠も金子に帰郷、やがて家忠30才の時高倉天皇の仁安3年、居城鬼門に社殿を造営して武運長久を祈り白髭神社とした。治承4年源頼朝は伊豆に兵をあげ金子十郎家忠は畠山重忠とともに三浦半島に衣笠城をかこみ三浦大介義明を打ち破り、この時家忠は身に21本の矢を受け奮斗。この戦に武蔵相模の勇士数ある中に家忠の武勇抜群であると名声をあげた。次いで寿永3年に源義経に従い京都宇治川の戦・一ノ谷から四国の屋島に渡り平家を討ち戦功によって武蔵伊豆下総などに地頭となって歴任した。

なお社宝の懸仏は、家忠14代の子孫金子越中守家定が滝山城の北条氏照と対陣したとき戦勝を祈って奉納したものと伝えられている。唐銅製円経9寸1分の器物で彫刻の文に元亀3年壬申9月金子越中守家定とあり、元亀年間に金子家は再建されたという伝えがある。

慶安2年8月24日先判の例により朱印高十石寄附されたことから、後代々の将軍家より同額の朱印を賜った。明治5年村社に列せられた。大正3年神饌幣帛供進指定村社に列せられた。昭和23年宗教法人として境内地譲与される。(入間神社誌より)

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