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ことひらじんじゃ

金刀比羅神社の御由緒・歴史
埼玉県 武蔵藤沢駅

ご祭神大名牟遅神(大国主命)
顕仁天皇(崇徳天皇)
創建時代不詳
ご由緒

当社は始め神職沢田家の屋敷神であった。沢田家は鎌倉期より代々神職を続け、幕末まで北野神職司の支配を受け、藤沢村の名主をも兼ねて、祭祀ばかりでなく村政にも関与していた。現在の当主は沢田利光で、三二代目になる。
沢田家が以前屋敷を構えていた所は、現在地から少し離れた字見方ヶ原であった。ここは、村で、唯一水の得やすい所といわれ、地形的には不老川と小川に挟まれている。このため、古くから村に井戸があったのは沢田家だけで、村人は毎日、水汲み道を通って飲み水を汲みに来ていた。当社が、屋敷神であったのも、琴刀比良の大神が水神であり、雨乞いなどにも霊験があったためで、日々水の涸れぬことを願い、井戸の近くに祀られていたのである。
沢田家が現在地に移転したのは、当地に隠居所を設けるためといわれ、社記に「天保七年、熊野神社当時の神官沢田茂頼信徒ト共々移転再興シテ一層崇敬セリ」とある。また、口碑には、頼雄の代に屋敷を移し、併せて当社を遷座したと伝える。ここは、古くから諏訪社の祀られていた所で、沢田家が代々祭祀を続けていた。現存する諏訪社の版木は、石棒に二頭の竜が向い合うもので「諏訪大神守 武蔵國入間埜 藤澤村琴平坂 狩場御殿」と刻む。なお、古老の話に「往時、この社地から石棒が出土し、宮寺の出雲祝神社に納められた」と言う。(「埼玉の神社」より)

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