こうじやはちまんぐう
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糀谷八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月24日(火)
参拝:2024年9月吉日
どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、狭山丘陵に佇む古社、主祭神、誉田別命(応神天皇)をはじめ、境内には合計9柱の神々が祀られており、除災開運、勝運、仕事運、家内安全など、さまざまなご利益があるとされています。その創始は明らかではありませんが、江戸幕府御鷹司新藤但馬守が崇敬したと伝えられています。
「風土記稿」に「若宮八幡宮 村の産神なり、村民持」とあり、往時若宮八幡宮と号したこと、更に神社周辺にある宮前・宮後などの宇名は、当社が古くから現在地に鎮座していたことがわかります。当地の有力者等によって長く祀られてきた古社です。明治五年に村社となり、同四一年には同大字富士塚の山神社、浅間神社、大字三ヶ島宇新水の愛宕神社、同境内社金刀比羅神社を合祀しました。現在の境内社「愛宕神社」「金刀比羅神社」は、伝えによると、「人皇四十代天武帝の御宇白鳳年中役行者小角詔を奉て諸国を遊化し、當山に結界し一夏の間一千座の護摩を修し給いし時一つの神石を得たり。行者歓喜科ならず、即草社一字を結び是を安置し、武野の神社愛宕大権現神體軻遇突智尊と勧請し奉る、即ち神社是なり。人皇五十二代嵯峨帝の御宇弘仁年中空海師諸方遊歴の時此地に鍚を卓め一樹の下に静座し給う時に、山林の中に勝軍地蔵経読の聲聞こえれば、大師共に彼経を唱え給い、夜も既に四更に向んとせる頃、異香四方に薫じ霊光樹上に輝き勝軍の尊容厳然と露給うを、大師未曾有の感に堪えず、霊木を伐て尊像を拝彫し、これを安置し奉り、水火盗疫の諸難を祓い、吉祥の志願を成就せしめ給うとかや。又、愛宕の末社熊野・稲荷・牛頭天王の三座を勧請し山内鎮護となし給えり。•・・略」とあり、本山派修験玉蔵坊(後に竜蔵院と改める)に祀ってあったもので、「風土記稿」竜蔵院の項に、いつの頃にや勝軍地蔵の像一体を蔵す、霊験あらたなる故、是を神体として愛宕権現を勧請せり、されば此権現領として御朱印を賜りしと云」とあり、慶安二年をはじめ八通の「愛宕権現社領」の将軍家の朱印状と、勝軍地蔵像が現存しています。
今から千三百年以上前のことでとても古い社です。徳川家康公が旗本大森伝右衛門らの案内で「鷹狩り」に訪れ、その最中、家康公は喉が渇き水を所望しました。
鎮守の中神職が井戸水を差し出したところ、家康公はうまそうにその水を飲み、「この水は格別にうまい水じゃ。神の与えてくれた水じゃ。こんなうまい水の出るところであるから、この土地を「神水」と名付けよう」と言いました。今でも「神水」を「新水(しんずい)」と言い、宮司家にはその井戸が現存しています。立葵の神紋もこの時に家康公から拝受したと伝えられています。現在の宮司は中家三十四世となります
「風土記稿」に「若宮八幡宮 村の産神なり、村民持」とあり、往時若宮八幡宮と号したこと、更に神社周辺にある宮前・宮後などの宇名は、当社が古くから現在地に鎮座していたことがわかります。当地の有力者等によって長く祀られてきた古社です。明治五年に村社となり、同四一年には同大字富士塚の山神社、浅間神社、大字三ヶ島宇新水の愛宕神社、同境内社金刀比羅神社を合祀しました。現在の境内社「愛宕神社」「金刀比羅神社」は、伝えによると、「人皇四十代天武帝の御宇白鳳年中役行者小角詔を奉て諸国を遊化し、當山に結界し一夏の間一千座の護摩を修し給いし時一つの神石を得たり。行者歓喜科ならず、即草社一字を結び是を安置し、武野の神社愛宕大権現神體軻遇突智尊と勧請し奉る、即ち神社是なり。人皇五十二代嵯峨帝の御宇弘仁年中空海師諸方遊歴の時此地に鍚を卓め一樹の下に静座し給う時に、山林の中に勝軍地蔵経読の聲聞こえれば、大師共に彼経を唱え給い、夜も既に四更に向んとせる頃、異香四方に薫じ霊光樹上に輝き勝軍の尊容厳然と露給うを、大師未曾有の感に堪えず、霊木を伐て尊像を拝彫し、これを安置し奉り、水火盗疫の諸難を祓い、吉祥の志願を成就せしめ給うとかや。又、愛宕の末社熊野・稲荷・牛頭天王の三座を勧請し山内鎮護となし給えり。•・・略」とあり、本山派修験玉蔵坊(後に竜蔵院と改める)に祀ってあったもので、「風土記稿」竜蔵院の項に、いつの頃にや勝軍地蔵の像一体を蔵す、霊験あらたなる故、是を神体として愛宕権現を勧請せり、されば此権現領として御朱印を賜りしと云」とあり、慶安二年をはじめ八通の「愛宕権現社領」の将軍家の朱印状と、勝軍地蔵像が現存しています。
今から千三百年以上前のことでとても古い社です。徳川家康公が旗本大森伝右衛門らの案内で「鷹狩り」に訪れ、その最中、家康公は喉が渇き水を所望しました。
鎮守の中神職が井戸水を差し出したところ、家康公はうまそうにその水を飲み、「この水は格別にうまい水じゃ。神の与えてくれた水じゃ。こんなうまい水の出るところであるから、この土地を「神水」と名付けよう」と言いました。今でも「神水」を「新水(しんずい)」と言い、宮司家にはその井戸が現存しています。立葵の神紋もこの時に家康公から拝受したと伝えられています。現在の宮司は中家三十四世となります
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