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真言宗豊山派

新光寺のお参りの記録一覧
公式埼玉県 航空公園駅

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BIG99(ツクモ)
BIG99(ツクモ)
2025年12月06日(土)151投稿

参拝記録🛕

ご不在の為、参拝のみです。
大きな桜の木があり春にまた来たいと思います😊

真言宗豊山派遊石山観音院 新光寺
本尊聖観世音菩薩

寺伝によれば遊石山観音院と号し、本尊の聖観世音菩薩は、行基菩薩の作と伝え、慶安二年(一六四九)
に観音堂領として、幕府から六石の朱印が出されている。寛政二年(一七九〇)の寺社書上には「三間四面のお堂」と記録され、草堂に観音像を安置したのが当寺の始まりで、所沢地方の人々に仰されて来ている。
また旧鎌倉街道の傍にあって、『新編武蔵風土記稿』や『吾妻鏡』『江戸名所図絵』などの地誌に、建久四年(一ー九三)源頼朝が那須野へ鷹狩に行く途中、ここで昼食をとった折、その時の幕舎の地を寄進したといわれる。その後この辺が戦場となり、元弘三年(一三三三)新田義貞が鎌倉攻の途上、必勝を祈願し、北条氏を平げての帰途再び立ちより前にかすめ取られた土地を寄進したと伝えられている。
文明十八年(一四八六)聖護院門跡の道興准后が書いた『廻国雑記』に、野老沢という所へ行った時に、観音院にという山伏がいて、他筒を取り出したるところ、酒の肴に薯というものを出したので、(野遊のさかなに山のいもそいて、ほりもとめたる野老沢かな)と歌をよんでいることが記されている。
当寺の「観音まつり」は、その昔「馬のまつり」として四方に宣伝され有名であった。
馬が唯一の交通機関であった頃の馬に対する尊敬心から、年に一回馬の慰労と、交通の安全を祈願する初午の行事として、初観音の縁日を馬の町とよんで、旧くは二月十八日に行われ、馬が本堂のまわりを回ったものです。現在は暖かく桜の花も満開の頃、四月十八日に行われている。

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タケ
タケ
2021年09月30日(木)491投稿

鎌倉街道散策(所沢)2

【散策ルート】
 所沢駅〜①実蔵院〜②弘法の三ツ井戸〜③新光寺〜④薬王寺〜⑤所澤神明社〜⑥堀兼分岐点〜新所沢駅

実蔵院を出て所沢青梅線を金山町方面へ行き、金山町交差点を入間方面へ行く。東川を渡る手前左手に古井戸と石碑。

②弘法の三ツ井戸
 夏のある日、僧が一杯の水を所望するために立寄った民家の娘は、水を汲みに行ったが、なかなか戻って来ないので、不思議に思った僧は、帰ってきた娘にその訳を尋ねた。すると娘は、このあたりが昔から水に不便なこと、井戸まで遠くて苦労していることを話した。それを聞いた僧は、三つの場所を杖で指し示し、井戸を掘るようにと言い残していった。村人達がそこを掘ると、清らかな水がこんこんと湧き出した。村人たちは「三ツ井戸」と呼び、その僧が弘法大師だった。
 三ツ井戸の少し奥には弘法大師をまつる小堂がある。このようないわれの古井戸が残っていることは、この辺りが交通の要衝であったことをうかがわせる。

三ツ井戸から東川沿いに川越所沢線へ5分で新光寺。山門前に標柱がある。

③新光寺
 所沢市宮本町にある真言宗豊山派の寺院で、遊石山観音院と号します。創建年代等は不詳ながら、本尊の聖観音像は行基菩薩の作であることから行基菩薩(天平年間)による開基と考えられる。別称所沢観音。
 建久4年(1193年)に源頼朝が那須野へ鷹狩りに行く途中にここで昼食をとった折り、仮小屋の地を寺に寄進したといわれている。その後この辺りは戦場となり荒れ果て頼朝寄進の土地も取られてしまいましたが、新田義貞が鎌倉に向かう途中に戦勝祈願をし、北条氏を討ち帰途再度立ち寄り黒塗りの乗鞍を奉納し、取られた土地を寄進したと伝えられている。

新光寺のその他建物

②弘法の三ツ井戸 三ツ井戸と石碑

新光寺(埼玉県)

③新光寺 案内板

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