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高畑稲荷社の基本情報

住所埼玉県さいたま市緑区高畑1-30
行き方

埼玉高速鉄道 浦和美園駅から徒歩約30分

アクセスを詳しく見る
名称高畑稲荷社
読み方たかはたいなりしゃ

詳細情報

ご祭神倉稲魂命
ご由緒

(境内の「稲荷社 御由緒」の掲示板より)

明治三十四年十一月に社掌酒井美孝、総代若谷高太郎らによって編集された『村社高畑稲荷社御由緒調査書』には、当社の由来が次のようにある。江戸期名主を務めた若谷家は、千葉東氏の出自で高畑(畠)氏を称し、太田美濃守資房に仕え、太田氏没落後は小田原北条氏に仕えた。小田原落城後に当地へ土着した高畑三郎左衛門が若谷姓を名乗り、それまでの家名を村社として、村の開発に従事し、代々名主を務めた。村の開発が進み、民家も増えてきた寛丈二年(一六六二)九月九日に三郎左衛門の孫善兵衛は、屋敷内の若谷稲荷の神璽を現在地に遷し、新たに「高畑稲荷社」と称して村の鎮守とした。
 そもそも若谷稲荷は三郎左衛門が村の開発に当たり、氏神として祀ったものであろう。村鎮守となった後も代々若谷家が総代を務めている。
 別当は高松山光明院日輪寺で、往時は当社の西に隣接していた。
 当社は三郎左衛門から八代目の八郎治の時、明和七年(一七七〇)十一月付で山城国紀伊郡稲荷本宮(伏見稲荷大社)から神璽の分霊を受け、同じく一一代目の八百次の時に天保九年(一八三八)正月付で神祇伯家から「正一位高畑稲荷大明神」の神璽の勧遷を受けている。
 神仏分離後、光明院は廃寺となり、当社は明治六年に村社となった。

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